K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

稲垣足穂「一千一秒物語」:月煌く晩にいつも想い出す


金澤という街に住みたいと想いだしてから随分経て,気がつくと金澤に住んでいる.案外,想い続けると何とかなるもんだ.その動機は,うまい酒が呑みたいこと,うまい魚を喰いたいこと,晴れると銀嶺の輝きが見えること.嬉しいことに,すべて願いは叶った.住む前に金澤の人からは,冬は暗いし,雨雪が辛いし,冬の雷は驚くし,といったことを何回も何回も聞いたが,まあ,面白いことは多くあれど,あまり辛いことはなかった.久々の大雪の年だったけど.

もう一つ住んで楽しいことは,雨が多いためか,晴れ上がったときの空気の透明度が高く,チンと硝子を叩いたときの感触のような不思議な大気の中にいると感じることだ.満月に近づくと,月明かりの力が今まで住んでいた神奈川や兵庫とケタ違いに強い.あの光をみると思う,古来,人々が畏れを抱いて月を眺めていたに違いない,と.昨夜も夕刻の土砂降りから,雲が流れ,夜半には煌々と月が出始めた.流る雲を睥睨する満ちつつある月.



こんな晩はいつまでも月をお供に,河岸段丘の丘のうえから下りて,川の流れをいつまで遡っていきたい気持ちになる.といっても,そんな気持ちで呑んでいるだけだけど.

古代人の畏敬の念から一転して,稲垣足穂が大正年間に出版した「一千一秒物語」は,月を役者にしたキネマスコープをみているような軽妙で洒脱な散文詩.20世紀という科学が技術に昇華した時代の高揚感が,われらが友「月」の姿態に投影されている.関西出身の足穂の味が存分に出ている.同時代の宮沢賢治ふりかける科学・化学のヴァースが強い陰翳のなかの仄かな光を見つめ,あくまで禁欲的であるが,同じ破綻者であっても酒飲みで尼さんを還俗させて女房にした足穂の明るさは,今の時代にあっても全く違和感はない.

掌品というにはあまりに短い話は,「月から出た人」,「星をひろった話」,「投石事件」,「流星と格闘した話」,「ハーモニカを盗まれた話」....と気ままに続く.

僕は30年程前に新潮社文庫で「一千一秒物語」を買ったのだけど,人に貸してそれっきり.その後,河出文庫で買い直したが違和感がなんとなくあって,しっくりこなかった.先週末,お茶の水駅近くの古本屋で30年程まえの版の新潮社文庫を改めて買い直した.僕の書架にあっても,同じような仕上がりになっていたような本.何人の手元かを経て貸した本が帰って来たような気持ちになって,なおさら足穂の本であることが,遅い春を楽しい気分にさせているのだと思う.