K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

工作舎「遊」(1980年頃)大学の生協に積んであるのを見て驚いた30年前


白山に出かけて心身ともにハイな状態なのだが,残念なことに足の痛みがなかなか取れない.今朝もそんな違和感を感じながらテーブルに置いてある雑誌を眺めていた.なかなか引きが強い「遊」.大学生の頃に何冊か買ったモノが捨てられずに残っている.

先日,一緒に呑んでいた友人の話題のひとつが松岡正剛との接点.松岡正剛といえば,今でもあのwebの書評には圧倒されていて,ときどきチラチラ見たりしているのだけど,はじめて工作舎の雑誌「遊」をみた30年前の驚きは忘れられない.

大学に入ったときに一番嬉しかったことは大学生協での本の10%引き.随分,本を買い込んでいた.そんななかで,平台に山積みになっていたのが「遊」で,そのケッタイな雑誌名と派手で素敵な装丁で,すっかり気に入ってしまった.装丁は杉浦康平事務所だったのですね.内容も民俗,宗教,音楽,文学,現代思想からサブカルチャーまで何でもありで,何となく「ユリイカ」だとかの堅苦しい雰囲気から一線を画していて,思慮の浅い理系少年の心を揺さぶるモノが何となくあったように思う.

今にして思うと,あのような広範な内容を娯楽として再構築した発想が凄いことだったのだろうと思う.折口信夫だとか南方熊楠のような博覧強記的多面体の世界を,何となくミーハー(古いコトバだけど)な感じで軽いパッケージにしているのだから.83年過ぎだったか「ジャパネスク」ブームみたいなことがあって,何となく白けてしまったのだけど.

あれから30年近くたち,未だに書棚の隅に何冊かの「遊」が置いてある.随分,いろいろな雑誌を買ったけど,「スイングジャーナル」とか「山と渓谷」はいつしか捨て,古い「ブルータス」とか「遊」のように,ある種の空気を詰め込んだ雑誌だけが残っている.松岡正剛の話がでたときに友人の前に「遊」を出して驚かせたのだけど,そうか下の世代はリアルタイムには知らなかったのだなと,しみじみしたのであります.

雑誌の写真をみて貰えばわかるが,「昭和が終わってなくて」,表紙の松岡正剛も若いし吉本隆明も若い.江上波夫白川静もまだ若い.そんな30年という時間にもかかわらず,この雑誌を広げると未だに読ませるので,なかなか書棚に戻せないここ数日なのだ.

まだディジタル的な編集手段が普及する遥か前に,こんな手の込んだ雑誌が出ていたことは一見,いや一読の価値があるように思える.今でも,古書店に行けば案外見かけるし,金沢だと「オヨヨ書林」に並んでいるのですよ.