K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Alexei Sultanov: 1998年のチャイコフスキー・コンクールライブ、加速する音の角度


Alexei Sultanov: Live Performances from the Tchaikovsky State Conservatory(1998,Melodiya)
・バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻〜前奏曲とフーガ第1番
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番『熱情』〜アレグロ・アパッショナート
チャイコフスキー:『四季』〜10月『秋の歌』
ショパンエチュード op.10-12
スクリャービンエチュード op.8-12
チャイコフスキー:ドゥムカ op.59
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 op.58
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番 op.83
1998年のチャイコフスキーコンクールのライブ

だいぶんとCD買いのペースを落としている。落とすことができている。正直なところホッとしている。と思ったら今週は呑み続けているので、なんだか「何でもいいから依存症的生き方」じゃないかなあと、朝からぼんやり考えている。なにかに依存したくなる日々か?

最近届いたCDが幾つかあって、正月の頃に読んだガイドブック(松本大輔の「クラシックは死なない」シリーズ3冊)を読んで注文したピアノ名演・怪演の類。カツァリスの初期の演奏集(ラフマニノフチャイコフスキーのピアノ協奏曲が凄い)、ミケランジェリのプラート・リサイタル(1967年,ショパン曲集,まだピンときていない)とともに届いた。個人的主観で好き嫌いがはっきりしているガイドブックは面白い。これを読んでスルタノフを何枚か入手したのだけど、この1998年のチャイコフスキーコンクールのライブが一番面白い。

ボクは未だに20世紀より前の時代の音楽を聴いて面白い、と思うことがあまりない。幾つかの例外、奏者そのものが聴かせる場合、を除いて。このCDがその数少ない一枚になりそう。ベートーヴェンの『熱情』やショパンエチュードなど曲そのものは耳に入ってこない。強打・連打される、加速する音の角度、とても鋭い角度で耳に射し込むときの衝撃、のようなものが快感を励起する。それが延々と続くのだ。ホロヴィッツの演奏で好きなスクリャービンエチュード op.8-12も余計な情感のようなものはなくて、曲を骨で聴かせているような感じ。最後のプロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」はひたすら疾走感を聴かせる,ことに第三楽章はかなりの速さ、荒っぽい,音がときとして乱れる、のだけど。時として、加速して叩き込まれる音が気持ち良さを喚起することおびただしい。

プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ

第一楽章

第二楽章

第三楽章

なんだか良くわからないのだけど、全てが終わると昂奮するロシアの聴衆の音象と一緒になって聴いている自分に気がつくのである。ちなみに,このコンクールでは二次予選落ち、プロコフィエフを弾いたところでお仕舞い,だそうで。お行儀が悪いのだろうな。