K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

夏空の広島で買った本

 なんとなく気忙しい日々を過ごしてしまっている。おかしな感覚。うまく云えないのだけど、時間が隠し持っているゲージみたいなものを眺めながら過ごしてきたのだけど、急に見えなくなったような。唐突に無蓋車から転落したような気分。だから酒精の力を得ても面白くない。アレって、「仮性の脱落感」を楽しむ道具だから。

 週末から仕事で瀬戸内に来ている。日差しが強い週末の朝、もう既に梅雨が終わってしまったことを知った。百貨店の偏光硝子から透けてみえる空には白い雲。力強いのだけど、物理的な距離よりも遥か彼方に沸き上がっているように見えた。どこか絵空事のような。

 百貨店の上には大きな本屋があった。神戸のジュンク堂の出店。金澤ではリブロが閉店してから、楽しい本屋はない。本当に久々に大きな本屋のなかを巡った。電子化社会の弱点はアーカイブの閲覧性。視野のなかに数百の背表紙が深い・浅い相関で網羅され眼に飛び込む。わざわざ広島まできて本屋で時間を過ごす事もなかろうかと思うが、とても刺激的で昂奮を呼び込んだ。黒タイ族(ヴェトナムのタイ系少数民族)の本や、雲南のガイドブック、現アフ​ガニスタンのギリシャ王朝(バクトリア王国)の後に成立​した大月氏国(匈奴に追われて蒙古から西遷)の本とかを​立ち読みしていた。

結局手にしたのは以下のとおり:

 任文桓「日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想」:「あの時代」の日韓関係を多面的にみてみたい、と思う。単純な加害・被害関係では決してなく、複雑なモザイク模様のピースを一つ一つみなければいけないように思っている。自虐史観・反自虐史観論争は幼稚なステレオタイプで、ヒトはもっしたたかで、しなやかに時代を生きていたに違いないから。それを知りこれからの日韓関係の「距離感」を考えたい。日中関係もそうなのだけど、近づきすぎて嫌悪感募る、のではなく、正しい距離で正しく互いをrespectする関係を構築すべきなのだ。利害関係を代表する国民国家形態をお互いとっているのだから。

 

 

白川静「回思九十年」、「文字遊心」:字を書く。ことに漢字から喚起されるイメエジは暴力的ですらある、と思う。その視覚的な力がなにから由来するこか、ということに関心がある。前から読みたい気持ちがあったのだけど、なんとなくそのときかな?白川静が関心をもった「東洋」がかつて存在し、1945年をもってその姿を消したという。その彼の東洋を袖の先ほど感じてみたい。白川静が逝去され、もう随分と時間が経ったように感じるこの頃。

 

稲岡邦彌「増補改訂版 ECMの真実」:ECMの不真面目ファンたるモノ、やっぱり持っておくべきかな、と気になっていた本。

 

ジャック・アタリ「国家債務危機」:Pax Americana崩壊過程に翻弄されるのだろうと身構えていたのだけど、その前に本邦が自壊のような混乱にはいるとは思わなかったが。ハンティントンの文明の衝突は冷戦後のメタ戦争を予告したもの(予言ではない、主催者の予告ではないのか?)であったけど、本当の次の時代は国家債務危機の先にあるのでは。市場経済の万能性に陰りを感じる今、気になるテーマ。

 

そもそも、少なからぬ本を抱えて出かけていたので、随分と本を抱え込むことになってしまった。