Pat Martino: Live ! (1972, Muse)
1. Special Door
2. The Great Stream
3. Sunny
Pat Martino(g), Ron Thomas(p), Tyrone Brown(b), Sherman Ferguson(ds)
ボクは70年代から80年代にかけてのジャズが好きだ。聴きはじめた時代の空気が缶詰になっていて、30年前と変わらず音楽を聴いている感覚が密やかに愉しいから。理屈抜きに、あの空気が好きなのだ。だから、フェンダーローズの歪んだ共鳴音や、弦が響く感触なんてちっともなくて無機的に刻まれるエレキベースが鳴りだすと、もう堪らない。スイングなんて不要で、ただドライヴされる流れにのるだけ。
その30年ちょいと前の時期にはジャズ・ギターは聴かなかった。理由はない。面白い盤と巡り会わなかったのだ。当時の軽いクロスオーヴァーは面白くなかった。渡辺貞男のヒット盤のリーリトナーを聴いて、何も感じなかったし。
だから当時、マルティーノを聴いたら、とてもツボにハマったと思うのだけど。聴いたのは随分後のこと。特にMuse時代のアルバムには驚いてしまう。70年代のジャズのフォーマットを使いながら、もうジャズとしか云いようのない音が敷き詰められる。音が息苦しいほどに弾かれ、奔流となり向かってくる。リラックスした空気を一瞬感じさせても、それは形だけのテーマを弾いているときだけ。テーマですら、溢れかえる音が隙間からはみ出してくるような圧迫感がある。
ボクが聴きだしたのは1979年なのだけど、お決まりのようにスイング・ジャーナルを読んでいた。その当時ですら、電気楽器を使ったらジャズじゃない、なんてことが相応に幅をきかせて書かれていたように思う。ただのポップスに媚を売った音楽であるような。電気を使うだけでねえ。驚いてしまう。1972年の本作を聴くと、電気楽器がある必然性をもって、ジャズを形作っている。
黒人奏者が電気楽器を使うと、身体を揺らすようなグルーヴが喚起され、弾けるような熱い昂奮を呼ぶ。キング・カーティスやハービーのヘッド・ハンターズなどなど。そんな世界も大好き。
白人というには血が難しいマルティーノのジャズは随分違う。電気楽器を使って無機的なリズムを与え、パットの奔流のようなギターに内なるグルーヴ、静かな昂奮を与える。決して物理的に身体は揺れないのだけど、もっと違う内なる「なにか」が揺さぶられ、そして静かな昂奮を呼ぶ。
リラックスとはほど遠い、奔流のようなマルティーノのギターを独り聴いて、静かに昂奮するという、オタクという言葉がなかった時代のクライ青少年のアイドルだったのではないだろうか?息苦しいなあ。それがいいのだ。
パットの経歴って、病気のこともあって、とても大変。興味のある人はネットでみてください。とても常人には思いもよらない凄みがあります。