K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

博多:去年の今頃はバンコクに居たのだけど


 去年の今頃はバンコクの街角に立っていた。麗しい乾季のバンコク。夜半過ぎの爽やかな風に吹かれて呑む酒。例の洪水騒ぎでそんな時間を過ごすことが難しくなっている。で、なんか気がついたら降り立ったような感じで博多にやってきた。この数日、気忙しく用事を片付けていたので、出かける高揚感はこれっぽっちもなかった。ただ、飛行機に乗り遅れたくなくて、忘れ物をしたくなくて...そんなことを考えているうちに着いてしまった。気持ちがそんな調子だから、ここ数日は音楽も全く聴いていない。

 博多に仕事ででかけた。通りを歩いていて、そこはかとなく記憶の底に眠っていた昭和の空気が漂っていて懐かしい。それも、古ぼけた昭和の残骸ではなくて、まだ生命を永らえている生きた昭和の空気。すっかり嬉しくなってしまった。

 仕事先へ行く通りの電信柱には懐かしくもポスターがぶら下げられている。そう、最近はどの街を歩いてもポスターがくっついた電信柱を見かけないことに気がついた。昔は右翼左翼風俗などなど貼り紙で溢れていた。モノクローム三島由紀夫をみていて、千駄ヶ谷自裁した、あの昭和のヒトコマに引っ張られた。そう三島死して四十余年也の憂国忌の告知。

 中洲川端の街角にあった映画館もピカピカだった。そう昭和20〜30年代を懐古するような映画でしかみたことのないような活気と光。ボクが子供の頃、昭和40年代には既に映画館には斜陽の影が強かったことは子供心にも分かったしね。

  

 夜は中洲をふらふら歩いていた。空気が温い。遅くまでヒトが沢山歩いている。屋台で吞んでいると、外の温い空気との一体感が気持ちいい。他の土地の屋台は侘びしげなマイナーな感じがついてまわるのだけど、ここは東南アジアの路上のようなメジャー感に溢れている。

 そんな懐かしいような不思議な楽しい気持ちで暫く彼の地で過ごした。バンコクいいなあ、という気持ちと、博多が良かった、ってことが、同じことだと帰り際に気がついた。とても甘い匂いが漂う街なのだ。薄明の那珂川を眺めた後、後ろ髪を引かれるように金澤に帰った。