もう終わってしまった夏の日々、ほぼ1週間を印度支那半島ですごした。仏人が名付けた地名 la Péninsule indochinoiseなのだけど、彼の地の地勢的・文化的なあり方をindochinoiseで表し尽くしている。常に2つの大国の間で揺動し続けている地域。だから境界線上のアジール特有の奔放さが甘い匂いを放つ。それは香草とか魚醤とかの匂いでもあるのだけど、心地よいものだけろ過されて記憶に残っている。印度支那、多くの人を乗せて漂っている大舟のイメエジが、ボクのなかを漂っている。
本当は彼の地が楽園と化す11月に訪問する予定だったのだけど、チャオプラヤー川から溢れでた水の様子をみている内に11月は終わろうとしている。あれまあ。何となく寂しい気持ちになって、写真を眺めたりしている。
そう残り香を探しに出かけているのだ。
夜半過ぎのバンコク・スクムビットのsoiを売り歩く果物売り。ささやかなベルの音が耳に残る。
タイの大学生の日本語の友は「こはる」ちゃん。ボクがタイの人々の中に見えるのは「こはる日和」なので、なんとなく通じるものがあるのだ。
タイの郵便局のマスコット。
彼らは打ち合わせの合間に手厚くお茶とかコーヒーを出してくれる。横にココナッツやタロ芋でできた、ささやかな甘味が置かれるのだけど、それが好きだ。
消えてしまいそうな甘さ、にボクの記憶が重なる