K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

村上春樹:小澤征爾さんと、音楽について話をする(2011) コトバで音を語りオトで言葉を語る

 成田の空港でこの本を手にした。見かけたのは初めてじゃないのだけど、クラシックのオーケストラはあまり聴かないし、そもそも小澤征爾の録音は聴いていない。いや正確に云うと、小澤征爾指揮で武満徹のノヴェンバー・ステップスを聴いて、関心を無くしていた(武満の曲そのものへの関心なのだけど)。だから、この本は気紛れから成田で掴んだだけ。それが存外に面白かった。面白いから成田・サンフランシスコ便で半分だけ読んで、残りはサンフランシスコ・成田便のためにとってある。

 まず対談のスタートがグールドからはじまったので惹き込まれた。実は、つい先日に金沢シネモンドでグールドのドキュメンタリー映画を見たばっかり。映画自体はあまり面白くなかったのだけど、グールドという存在の意味は何となく分かったような気がした。カウンター・カルチャーの前哨戦みたいな存在であり、また「夭逝」したドラック漬けのロックやジャズの「天才(と呼ばれた人達)」と幾ばくかは重なって見えた。未だホロヴィッツミケランジェリのような巨匠が生きている時代でのdifferentiationの主張って、あんな感じにエキセントリックになってしまう必然のような。

 ボク自身は彼のピアノに惹き込まれた経験はなくて(バッハは聴かないしねえ)、ベルクの独奏曲なんかもエマールの方がいいよなあ、なんて思っている。2010年あたりから懸命にクラシック音楽を聴きはじめたボクには、未だにツボがわからないのだけど(勿論、聴く側の問題であることは認識しているのだけど)。

 そんな事前知識があったので、バーンスタインとグールドの共演話はとても面白かったし、バーンスタインは数少ない聴いた事がある指揮者なので(プレヴィンや自身のピアノによるショスタコーヴィッチの協奏曲とか、弾き振りのラヴェルの協奏曲はいいなあ、と思う)、面白く読むことができた。


 それに加え、章と章のあいだに小テーマの対談があり「文章と音楽との関係」と題して主に村上春樹が語っている。自分の文章が複合的なリズム「ポリリズム」となるように書いている、と。この潜在的なリズムにハタチ前後の頃に馴染んだから、今でもすっと読むことができるのだろうな、って思った。長年の間(30年くらい!)なんとなく感じていた(に違いないことを)、さらっと分からせてくれたトコロがあって、何とも痛快だった。それにしても、音をコトバにしている本のなかで、言葉をオトに例えて分からせるって、面白いよね。コトバで音を語りオトで言葉を語る。
 
 ということで、僅か3泊の米国出張もお仕舞い。二日に渡る朝から深夜までの会議も終わって、ドロっと疲れているのだけど、金沢の美味しいモノでも思い浮かべて我慢して帰ります。では!

PS.ようやく金沢に戻ります。ホテルから一歩も出なかったという。何とも情けない出張でした。では、お知り合いは金沢でまた !