K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Anthony Braxton: Town Hall 1972(1972) 骨太のオトがここにある

Anthony Braxton: Town Hall 1972(1972, Trio)
 [Record 1]
   A1 Compsition I
   B1 Composition II
   B2 All the Things You Are Hammerstein, Kern 35:37
Anthony Braxton (as), Dave Holland(b), Phillip Wilson(ds, perc)
 [Record 2]
 A1/B1 Composition III
Anthony Braxton (cl, fl,erc, as), Dave Holland(b), Barry Altschul(ds)
Jeanne Lee(vo), John Stubblefield(fl, ts, b-cl,perc)

 昨夜は何故が寝付けなくて、新聞配達のバイクの音が鳴り出す頃に記憶が薄れていった。だから普段より遅い時間に目覚めたのだけど、天気も良くて力がみなぎるような感覚があった。朝からフリー・ジャズを聴いてみようか、って気分になった。珍しいこともあるものだ。

 棚の奥から取り出したのはアンソニー・ブラックストンのタウンホールでのライヴ。2枚組のLPレコード。日本のトリオ・レコードが出していたものだけど、1980年頃は廃盤で見つけるまで時間がかかった記憶がある。盤質は良好。録音もとても良くて素晴らしい。

 LPの1枚目はアルトサックス、ベース、ドラムのトリオ構成。ベースのホランドが実に素晴らしい。チック・コリアのARCでのトリオから、ブラックストンを加えたサークルに向かった頃の熱気を伝えている。ボクの感覚では、ブラックストンは嫌な奴だ。曲名を化学記号モドキにしたりするような悪趣味。知的産物であることを、殊更に強調しているような。だからサークルを聴いても、何か頭でっかちで、「知的冒険」の演出熱心な嫌味を感じてしまうのだ。だからサークルは聴かないし、彼の録音は追いかけていない。このタウンホールの二枚目もそんな感じ。ジャス的な緊張感もなく、なんかなあといった内容。

 しかしながらLPレコードの1枚目は素晴らしい。ホランドのドライヴ感が見事で、この演奏がジャズであることを見事に主張している。長尺の曲なのだけど、ブラックストンのソロも緊張感を持続し、必然性のある音の連鎖を紡ぎ出している。そのスリルに気持ちを持って行かれる。フリー・ジャズを聴く愉しみを凝縮したようなインタープレイ。これを聴いていると、この瞬間・瞬間、あのドルフィーが生きながらえたら、きっとこんなジャズをやったのではないかと思えてきた。

 骨太のオトがここにある。

 考えてみた。ジャズという音楽の構造を壊し、即興という基底に横たわる規範で奏される音楽がフリー・ジャズ。しかしながら、既存の構造を壊すことに重きがおかれ、既存の構造に逆から縛られているように思えて仕方がない。伝統も反伝統も、伝統というものに意識の起点を置く限り同じ次元で語られるようなものだ。だから、このアルバムの2枚目は壊した跡の空虚さを埋めるようにイロイロな奏者・楽器を足しているが、そもそもそのような音に必然性を与えていない。

 一枚目の音を聴いて、ドルフィーを想い出したこと。伝統的なジャズの形をとっているのだけど、その上に載せられた音が喚起する世界が軽々と伝統を超えていく。ドルフィーの晩年の音楽を聴いているとそんな感じがする。だから未だに古びなくて、眼前にリアルな音が広がる。ブラックストンのタウンホールも、そのような立ち位置が鮮明で、フリー・ジャズが一刻の徒花ではないことを主張していると思うのだ。 

 現在はスイスのHatologyから出ているようだ。入手も容易。万人に薦めるような類の音楽ではないけれどね。

 

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