K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

スゥエーデンの君に伝えたい四日市の空


 このあいだモントリオールでは1時間くらいの講演を行った。まあ小さな技術屋の集いなので、聴いてくれたのは40人くらいだったのだけど。そのなかに熱心な中国人がいて、終わってから少し話しをした。スゥエーデン在住のE社エンジニア。そんな人は沢山いるのでさしたる印象はなかったのだけど。

 出張が終わる頃、その集いのClosing receptionがあって、ビールを呑みながらうろうろしていたら、その中国人と再び出会った。蘇州出身。いろいろ話をしていたのだけど、中国に帰らないの、と聴いたときに、少し激したのには驚いた。彼は中国の将来に悲観的。Pollutionについて語りだした。特に水質汚染、大気汚染の酷さに呆れていたのだ。確かにボクが蘇州の近所、無錫に行ったときも凄かった。昼間なのだけど真っ暗。曇ってますね、って云ったら、今日は風がないから、の答え。そう、スモッグ(死語だけど)。

 ボクはコトバを選びながら話をした。ボクが子供の頃、40年以上前の東京近郊の街の汚染の様子。大気汚染も水質汚染も酷く、昼でも空は暗く、川は色とりどりの化学薬品が流れ、刺激臭を放っていた。洗濯物を外に干せない、ような会話が多かった。また京都で見かけた光景も忘れられない。鴨川はゴミだらけで、大きなタンスが流れていくのを、驚きながら眺めていた。日本がきれいになってきたのは、本当に最近のこと。国民の所得水準が上がって、民度が上がって、そのようなことにコストを払うことができるようになったから。昔の日本がきれいだった、というのは本当でない。戦後数十年をかけて、所得水準や教育水準があがって、はじめて達成できたこと。

 だから中国もこれから時間をかけて、同じような道を歩むよ、と話をした。かつて、大気汚染の象徴であった四日市喘息の地で朝を迎え、抜けるような青空をみたとき、スゥエーデンに戻った君に、この四日市の空を伝えたいと思った。

付記:

保守メディア系のネット記事で、中国の汚染状況を侮蔑的に書いてあるのをみると悲しくなってしまう。その心根の卑しさに。あの国を貶めることが、なぜ日本を高めることになるのだろうか。かつての日本を貶めているようにも思えるから。確かに酷い時代であったと思うが、貧しいということは酷いことなんだと思う。それを克服してきた先人に敬意を払い、後から来る人を善導するのが正しい行いではなかろうか。ボクはかなり保守的な考え方なのだけど、所謂保守系メディアの頽廃は(一部だとは思うが)眼を覆うものがある。