10月のはじめに出かけたインドでの写真。
ボクは空調の利いたマイクロ・バスのなかから、過剰という言葉そのものの街中を眺めていた。最新の乗用車から馬車、牛車まで走る。掘っ立て小屋から高層ビル。螺旋状にセリ上がっていく時間が物体として陳列しているような過剰さ。そんな土埃まみれの街角にヒトがあふれている。
ガラスの向こうとこっちの間にはガラス以上の隔たり、上手く云えないのだけど、決定的に違う何かを感じてしまった。タイあたりでは、まだ何かしら肌触りとしての違和感を感じないのだけど。これは、モンスーン地帯の中なのか、外なのか、ということが湿度とか土埃の違いになっていて、それがヒトにも反映されているような感じがした。 それにしても不思議なのは、街で寝そべっている牛の写真を何枚か撮ったのだけど、何も残っていなかった。何故だろうか?猿(ヒンズーでは猿神がいるよ)の写真は残っていたのにね(アップしてます)。
馬車と牛車が半々かなあ
猿が街中を行き交う
旅芸人。なんとなくの哀愁
デリーと比べて満杯のトゥクトゥク
実用的な意味のない過剰な装飾がとても多く、楽しい
高級ホテルの守衛はこんな感じ