オトを楽しむこと、って、ただ聴けばいいのだけど、感覚の底に降りていくためのハシゴのようなものが必要、だと思う。そのハシゴがあれば、音楽を聴く目的(の一つ)である感情の遷移、を体験できる。本来、孤独で楽しめる筈の音楽なのだけど、本を読んだり、友人に教えてもらったり、ラジオ番組で聴いたり、音楽を聴くときに他者との関係性が案外濃厚なのは、そのハシゴ(あるいは思考回路の配線でもいい)がそこから入手できるからではなかろうか。
だから独り遊び、なのだけど、他者との関係性が栄養分のように必要なのだろう。金沢に引っ越してきてから、クラシック音楽を聴くことや、最近グルーヴするような系統の音楽を聴くことも、とても影響を与えてくれている人との関係性が存在している。愉快なのは、そんな人達の多くが随分と年下であること(そうじゃない人も若干だけど)。若い彼ら・彼女らに教えを請うということが案外と楽しいことなのだ。多くの音が彼らにとっては時間的な共有がなくて、ただ純粋に音として存在している。そして、そんな音の背後にあるコンテクストは概ね関係ない。オトをオトとして愉しむ、そこがね。
そんな若い友人の一人S君とレコードを交換した。手に入れたのはQuarteto Em Cy のデビューアルバム。一言でいうとCuteな唄声。楽しい。そんなオトを聴いていると、S君のオト蒐集の考え方の根底がCute、じゃないかな、と思う。光の当たり方で見える色が異なる結晶のように、オトの聴こえ方が変わる。S君が繰り出すオトの連鎖を聴くことが、彼のハシゴを知ることになって、それがボクのなかに亜種を生み出す過程になっているんだな、って思った。だからCuteでGrooveするオト(少し広い意味なのだけど)に惹かれているのだと思う。
Quarteto Em Cy のデビュー盤の表面と裏面を聴きながら、そんな取りとめのないことを考えていた、冬の朝。
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Quarteto Em Cy (1966,Elenco)
A1. A Banda
A2. Vamos Pranchar
A3. Espere Um Pouco
A4. Canto de Ossanha
A5. Samba Torto
A6. Caminho do Mar
A7. Segredinho
B1. Amaralina
B2. Morrer de Amor
B3. Pedro Pedreiro
B4. Inútil Paisagem
B5. Até Londres
B6. Último Canto