K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

上高地・徳本峠(2135m)山旅という死語のようなもの


 徳本峠の山小屋。昔の風情、を残している。

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 山旅という死語のようなもの、がある。もう聞かなくなって久しいような気がする。もう30年前に終刊となった雑誌「アルプ」とともに、峠を辿ったり、山村を訪ねるような、時間をたっぷりと使ったような山との関わりは終焉したのではないか。それは丁度、黎明期の登山を知る世代がその人生を終えた時期と重なる。鉄道の支路も延伸していない、バスが走る道路もない、そんな登山口までの長い路を数日かけて歩く、そんな時代を知る人々。そして戦後の開発で隅々まで近代的な交通路が敷かれ、それが完成した時期でもある。そして「アルプ」の主宰者であった串田孫一がこの世を去って、もう随分経つ。

 そんな山旅の匂い、というようなものは、古い山の本の中にしかない。だけど、その残り香のようなものがあるであろう場所を思い出した。徳本峠(2135m)。上高地から松本の方角へ600mあまり登ると辿り着く。連日の深夜帰りで疲れていたから、軽い山登りにしたくなった。だから、亡き山旅のようなものを味わえる筈の場所が丁度だった。まだ見も知らぬ峠への憧れ、が山旅の気持ちじゃないかな、きっと。

 それは島々から上高地へ至る古の径。釜トンネルが出来る前は神河内と呼ばれたこの地に入る唯一つの径。宣教師ウェストンが上條嘉門次とこの路を辿ったという。

 この径には山を登りはじめた30年前から憧れがあって、いつか島々から岩魚留を経て、徳本峠に立ちたい、と思っていた。今回は反対側だけ歩くことができた。

 前日の降雪で穂高の稜線は白く輝いていた。連休で人通りが多い河童橋から明神に至り、人の群れから離れて峠を登る。色づく森の中を歩く。気がつくと、背面に明神岳が垂直に立ち上がる。そして、梓川河畔では明神岳に隠された西穂高から前穂高に至る山嶺が再び見えはじめる。前日の降雨・雪のためか大気の透明度は高く、冷たい日差しが痛い。そんな光の中、正面には紅葉が浮かび上がっていた。静かな径を楽しむゆったりとした時間。次はこの季節に島々から徳本峠への遠路を歩きたくなった。

 たまには体力勝負じゃない山もいいと思った。

冠雪した穂高を臨む。寒かった上高地

ようやく射してきた日差しが強い。

落葉の径を辿る。

明神から暫く登ると紅葉の森。このような光景を見ながら登り続ける。

振り返ると明神岳、そして西穂高方面が

輝く色付く森、空は深く蒼い。

徳本峠からの眺望。前穂高から奥穂高、西穂高まで。

下りは峰をみながら。その懐に飛び込む。

明神のあたりが下に見える

木々が眩しい