K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

車谷長𠮷:贋世捨人(2002,新潮社)純度の高い感情が汚泥と紙一重、という面白さ

 以前書いたことの繰り返しになるが、眼の具合が安定して、本を読みたいという気分が自然に沸いてくることが嬉しい。だから金沢を出て、仕事であちらこちらへ出かけるときは、思い切って音源も持たないで、景色もあまり見ないで、本と向き合っているときが楽しい、ことが多い。

 11月に入って、旅を栖とするような日々。本を多めに持ち歩いて、読書三昧。例年にないほど気分がよい。

 この車谷長𠮷の本は、つい最近、書棚から取り出して、近所のNちゃんに貸したもの。「ヘン好き」だから、「コレ」かなって選択。それを機に、10年ぶりに再読した。内容はまるで忘れていて、強烈なエグ味だけ覚えていた。

 車谷長𠮷の「私小説」は、オトコの気持の奥底にある暗部を容赦なく、自虐的に書き綴る。文士(古い!)にならんとする強烈な上昇志向と同時に、我が身の無常を「味わうため」の強烈な転落嗜好。社会からドロップ・アウトし、文壇から姿を消した時期の惨めな日々を、味わい尽くせ、と云わんばかりに書き綴る。読み手は(ボクも)、その何重にも屈折した心情のなかに映し出される、自分の偏屈な心性に気がつき恐れる。彼のような荒廃の極北を生きたい、という願望も覚悟も無く、ただ何かに迎合しているような気持ち悪さ。純度の高い感情が汚泥と紙一重、という面白さ。

 日曜日の電車の中で、憑かれたように読み終えた。そして旅の疲労感が何倍にも増えたような感覚、徒労感のような気分になった。そして著者との距離感が、10年前より少し近づいたのは気のせいか。困ったことだ。

 ただ、困ったオトコの困った本なので(困った書き手、困った読み手)、面白いってヒトに貸す本でもないと、密かに恥じた。改めて読むと、本当に恥ずかしい本。

 赤目四十八滝で、やはり同じような転落の日々の臭み、をぶちまけたような文章に引っ張り込まれた。暫くは読んでいたのだけど、この10年はさっぱり読んでいない。私小説をやめて、また女流詩人との生活を行っている彼の作風はどうなったのだろうか。読んでみようかな、というイタズラのような気持が少しだけ沸いてきた。