K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

湯浅啓写真展「線路はつづく 北陸・鉄道のある風景」@花のあとりえ こすもす


 ボクのなかの鉄道の記憶を辿ると、昭和30年代後半の阪急電鉄夙川線のコゲ茶色の車体が鮮烈な記憶に残っている。歩く前の幾つか残る記憶のひとつ。その後の記憶は昭和40年前後の北陸本線。未だ親不知あたりが未電化の時代。大きなディーゼルカーに牽引された急行「はくさん」や「くろべ」の記憶。とにかく暗い車内で長時間の乗車が辛かったことを覚えている。

 あれは夕暮れだっただろうか、直江津の駅の構内で汽笛に驚き、窓をみると蒸気機関車が走り去っていった。そんなことや、大阪発長野行きの普通列車を眺めていたこと、そんなおぼろげな記憶が風化のあとなお残っている。

 10月もお仕舞の頃、安江町の「こすもす」の閉店間際に出かけて、湯浅啓さんの写真展を観た。晩秋の香りが流れるような宵だったので、少し冷たい床の上に座る湯浅さんと暫くそんな半世紀くらい前の北陸本線のことを話した。記憶なのか、記憶と認知してい虚構なのか判然としないのだけど。

 それにしても人工物である鉄道車両が走る光景に惹かれるのは何故だろうか。ボクの場合、奥底に沈んだ昭和40年前後の記憶の中に鉄道が紛れているから、じゃないかな。そして、途切れず続く鉄路の先を知りたい、と思わなくなったのは何歳になった頃だろうか。

 間違いなく「鉄路の果て」の一つであった能登線を中心とした写真は、能登の風景のなかに溶けてしまった鉄路と、その上を走る車両が語る何か、を感じさせる。そして、もはやそれは画像の上にしか存在しない寂しさ、かつて確かに存在したという記憶を伝える。湯浅さんと少し話しをしながら拝見した写真は、撮影者の何倍も饒舌であることがとても印象的だった。

 駅員(駅長?)の帽子をかぶった店主のイズミさんが、切符を切ってくれるという茶目っ気のある楽しい写真展であり、見たことのない景色の記憶が増えたような、ニセの幼児記憶が足されたような気がしながら帰途についた。

 

素晴らしい写真の備忘のため持ち帰った「能登線日和」。ボクのなかの偽記憶に溶け込んでいくような、懐かしい写真が観ることができる。