副題が「円盤に棲む魔物の魅力に迫る」。そう魔物がいるのだ、あの黒い盤の向こうには。だから、LPレコードに狂うにはワケがある。オーディオ・マニアがケーブルに凝ったり、電源ケーブルの何万円も出すこと、と同じ。つまり聴いたときのオトの違い、が気になると我慢ができなくなるのである。そうして、マニアの暗い淵に愉しく墜ちていく。その落下速度そのものが快感なのだ。いつも気持ちのなかで、仕方がないなあ、と舌打ちしている。
あるとき友人と音楽を聴いているときに謂われた。最近、音楽じゃなくて音のことばかり云うね、って。そう音楽でなく、オトに気持ちが行っている、と自覚は確かにある。だから音響装置を触っている、ことと同じなのだと思う。
LPレコードは果たしてCDと比べて音が良いのだろうか。そのような議論や問いかけは果てしなく続いている。技術屋として感じていることは、
・媒体としての能力はCDと、それを支えるディジタル録音のほうが高い。
・演奏(あるいはマスターテープ)から媒体(LPレコード、CD)までの過程を支える情熱や技術は場合による。多くの場合は、制作者が関与して作成された盤のほうが制作意図が反映された仕上がりになっている。
ということ。マスター・テープから媒体までの工程の中で音域の補正(イコライザ)を行う部分があり、その稚拙が大きく影響しているようだ。さらに古い録音の場合、マスターテープの劣化は確かに存在している。その影響は中域の「音の密度」に影響しているような感覚がある。さらにはLPレコードの場合、カッティング・マシンの性能も影響するそうだ。
結局のところ、音の艶、密度がプレス時期により大きく変わり、多くの場合、CDの静粛性(雑音が入らない)を上回る「音の迫力」を掌中にすることができる。
そんなことを、つらつら考えること自体がとても楽しいことも否めない。いつだったか記憶がないのだけど、今年早くに気持ちがそんなところへ飛んでいった。
そんな1年のガイド本の1つが本書と続編2冊の合計3冊。どのページにも具体的なレコードを取り上げ、その音の違いを論じている。明快で曖昧さ、がない。どれも面白い。著者曰く、音響装置のケーブルなんかよりプレスの違うLPレコードでの音の変化のほうが大きい。ならば、聴いてみるしかないじゃない、ということなのだ。
気がつくと、随分な数の50年代から60年代のBlue Note, Riverside, Prestige, Columbia, Atlanticなどなどが手元に集まった。そろそろ音楽を聴く、のスタンスに戻るときが来たように思う。ああ楽しかった。
LPレコード新発見―オーディオの深淵に棲む魔物に迫る(2005)
LPレコードに潜む謎: 円盤最深部の秘密を探る(2011)