K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

羽原 又吉:漂海民 (1963、岩波) 境界のない時代への想像力


 ボク達には重篤な思い込み、あるいは思い違い、がある。古の頃、多くの人々は土地に縛られ、そしてその行動範囲はとても狭く、異境を知らずに果てていった、と。

 確かにそのような人々は多かったことには違いないのだけど、この本を読むと、かような考えと全く違う人々の姿に驚いてしまう。その意味では、宮本常一から網野善彦へいたる研究者の著作を読むときと同じような驚きがあった。

 江戸期において、赤道を超えて豪州まで真珠取りに行った紀州の漁民、古くから北九州から能登まで移り住んだアマ、対馬まで流れていった瀬戸内の漁民、沖縄から南洋、あるいは四国・北陸まで漁撈に出かけた糸満漁師、そのような漂海民(船のうえで暮らす人々)についての話は、ボクの貧弱な想像力を遥かに超えた行動の軌跡を描いている。

 明治以来の近代化は、徴兵制を根拠とした戸籍での民衆の捕捉、更には米穀配給とともに住民登録制度の浸透が図られ、漂泊民という存在が消えいく運命にあった。特に戦中、戦後、加速度をつけ、そのような人々は消えていった。この本が出版された1963年は、まだ辛うじて漂泊民が存在し、あるいは漂泊の記憶をもった人々が生きていた時代。宮本常一が足で拾い上げた伝承なども交え、「生きている漂泊民」を生き生きと描き出していることが魅力。

 それにしても、能登に九州系のアマが移り住んだ、ということに驚きを隠せない。ならば、彼らの神であるワタツミのカミを将来したのだろうか。ワタツミのカミは天津神。渡来人とともに、西から来る神なのだからそうだろう。正月にぼんやりテレビを見ていたら、能登の一宮は気多大社。祭神は大国主の命。国津神の大将。そんな話を聞きながら、出自の違う様々な人々が暖流に乗って能登に辿り着く姿を夢想してしまった。幾重にも折り重なった人々の渡来。舳倉島のアマの話はマライーニの本で興味を持ったのだけど、その源流が九州にあると知って、そんな能登の事を少し知ってみたいな、と思った。