K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Brad Mehldau, Mark Guiliana: 「Mehliana: Taming The Dragon」(2014) パルスの快感

 パット・メセニーのKinと同じ時期に、LP/CDのセットを衝動注文している。だから、ブツはまだ届いてなくて、1週間前にメイルで届いた「ダウンロードOK」を見落としていた体たらく。今朝、気がついてMP3をダウンロードした。不思議なもので、Kinで感じたMP3でのストレス(イラっとする)のようなものは無くて、すかっと楽しめた。やはり、楽器の数とか、音の稠密さのようなもの、つまり情報量が関係するのだと思う。メセニーのKinと比べて、工学的な意味での「情報量」が少ない、ということ。だから高分解能音源のサイトでも、Kinは96kHz/24bitを販売しているが、このアルバムは44.1kHz/24bitのみ。なんとなく納得した。

 工学的な「情報量」と音楽の質、は関係しない。ECMの定義による「最も美しい音響」であるSilenceの情報量は工学的な0だからね。

 このアルバムと、同じNonesuchから先月出たメセニーのKinの印象は対照的だなあ、と思った。

メセニーのKinを聴いていて、よぎる想いはこんな感じ:

 ・そもそもメセニーの音は好きで、かれこれ30年くらい聴いている。その感、音の深化・進化に驚かされることが楽しかった、

 ・Kinで心地よいPMGサウンド(のようなもの)が復活、聴きたいなあ、とおぼろげな想いが満足、

 ・だけど何回も聴いていると、新しい刺激が足りなくて、予定調和が「懐メロ感」を生む、

 ・だからメセニーも「懐メロ」ギター奏者に次第になっていくのかなあ、という寂しい感じ。

勿論、圧倒的な力を感じるのだけど、それは晩年までピーターソンが饒舌にピアノを弾いていたことと同じ訳で、ボクら(あえて複数形)がメセニーに期待していたことと、少し違うような気がしている。

ではメルドーのMehlianaでは、こんな感じ:

 ・そもそもメルドーには上手く合わない部分があって、ボクなりの「聴き所」がみつかったのは最近、

 ・だからピアノ・トリオは未だに印象が薄くて、ソロとか現代曲への挑戦したような、ピアノ奏者そのもので勝負したときにツボにはまる、

 ・Mehlianaでは、冒頭から「あっても良い違和感」が充満していて、それだけでも満足できる内容、予定調和から隔たった距離感が嬉しい、

 ・何回も聴いていると、Fender Rhodesの音に惹かれていて、その惹かれる「モード」がピアノ・ソロを弾くときに感じる快楽と同じモノであることに気がついた、

 ・異論の多い作品なんだろうが、こんな偶発的なアルバムに「次の何か」を期待したいなあ、という気持を生んだ。

ここで書いた惹かれる「モード」というのは、パルス状に発射される音の刺激。メルドーのピアノはとても美しく響き、それ自体もよいのだけど、improvisationのなかで、かなり意図的にパルス的な、切れの良い音の連鎖、が打ち出され、それが「ボクにとっての」期待と快感になっている。そもそもFender Rhodesの音が好きなので、メルドーの「パルス列」が炸裂すると、それだけで何とも嬉しい「参った感」で一杯になってしまうのだ。

 加えて、ドラマーのMark Guilianaも切れの良いパルスを叩き出している訳で、それが「快感指数が高い」アルバムになっている理由じゃないかな、と思う。Mark Guilianaにも興味が出てきた。

 まあ賛否はいろいろあろうが、ボクは好きだなあ、こんな感じ。パルスの快感。

 

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Brad Mehldau & Mark Guiliana: 「Mehliana: Taming The Dragon」(2014,Nonesuch)
   1. Taming the Dragon
   2. Luxe
   3. You Can't Go Back Now    
   4. The Dreamer    
   5. Elegy for Amelia E.
   6. Sleeping Giant
   7. Hungry Ghost
   8. Gainsbourg
   9.    Just Call Me Nige
 10.  Sassyassed Sassafrass
 11.  Swimming
Brad Mehldau(key), Mark Guiliana(ds)