K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Light Rail@Phoenix 街の背骨


 最初にフェニックスに来たのは2000年だから(多分)、15年前。その頃のダウンタウンはすっかり荒廃していて、米国というよりはメキシコの街(知らないけど)のような空気に思えた。古いビルが放置されていたり、昼間からビルの影で寝ている人がいたり。ダウンタウンでは、食事ができるような場所も少なく郊外に出掛けた。2001年もそう。

 それから14年。随分と街が変わった。まず再開発により、「捨てられた感じ」が全くなくなった。食事場所も多くなった。夜になると人通りも少なく、寂しい感じなのは変わらないが、それでもパブが随分出来ている。郊外に行く必要はなくなった。

 何よりも、路面電車が走って、街の中の移動が楽になった、だけでなく街の構造がとても分かりやすくなった。街の背骨、が出来たのだ。街の流れ、のようなものが路面電車に沿って出来ていて、そのなかを円滑に移動できることは、visitorにとってXY座標のなかでの位置づけが容易にできるようになった、ような感じ。認知空間がぐっと広がった。

 驚くほどPhoenixの街が魅力的に見えるのだ。まだダウンタウンの再生は果たされていないが、回復基調のなかにあるのは間違いがない。

 街を空間的に把握できる力、のようなものを路面電車に感じるのは初めて、ではない。昔、京都の街をそんな理解をしていた記憶があるし、最近では富山に同じような感覚があって、とても好感を持った。

 金沢でしんどいのは、街の奥行きの深さをバス路線で思い知らされ、理解不能のような感覚を覚えること。あの複雑怪奇さ。昔の路面電車の路線を見ると、見事に金沢の背骨を与えているように思えるのはだけど、どうだろうか。金沢駅から、浅野川大橋から東金沢方面、小立野方面、武蔵が辻から香林坊、片町そして野町まで、さらに寺町まで。visitorでも金沢の背骨(にしては複雑だけど、街が複雑だから仕方がない)が見えてくように思えるが。(子供の頃、乗った記憶や、花電車を見た記憶がある)

 金沢の交通事情も随分変化したなかで、改めて都市交通の在り方を考える時期ではなかろうか。