昨日遅く、訃報を知った。彼は生きているときから、遠くにいる人であった、ように思う。
後ろ姿すら見えない、遠くにいる人から、まれに贈られる音を享受してきた。
今、そして音だけ残った。
ボクは改めてスストとポエジーを聴いた。強いビート音楽と静謐な音楽。
対極にあるようで、彼のピアノは音が少なく、一打一打、打ち込むように決めている。
その少ない音で空間を埋め尽くすような緻密な世界を作っている、と思った。
昔から遠くにいた菊地さん、さようなら。決して多くはないが、稠密な音を残してくれて、ありがとう。
[2014-4-1の記事]
渡辺貞男のCBSソニー時代のアルバムを聴いたあと、1970年代の日本のジャズを聴いている。
最近のコトバで、和ジャズ、ってあるけど、嫌いなものの一つ。強い違和感を感じる。長い雌伏の期間を経て、1970年代から普遍的なそして独自性のあるジャズを開花させた奏者達を果たしてrespectするものか。少なからぬ奏者が海外を含め、広い支持を集めた、あるいはそのような普遍性を追い求めたということと離れた、軽いコトバに思えてならない。
最近になって菊地雅章をしっかり聴くようにしている。そして驚くのは、1970年頃の演奏が先鋭的なもので、そして近年のECMでのアルバムに至るまで、揺るがぬ世界観を感じさせることに。
菊地雅章と富樫雅彦のデュオにときおりピーコックが加わる、このアルバム。吸い込まれるような音の奥行き、に気持ちを持っていかれる。無響室のなかに立って、無音、というものを実感したときの感覚。静寂のなかに全てが引き込まれていくような、音が自分に向かって行きそして跡形もなく消えて行く。決して少なくない音なのだけど、静寂を感じさせる低めの温度。
そう同時期に起動したECMの音の世界観と酷似していることに驚く。
菊地のピアノの素晴らしさ、音の数や早さで圧倒させるのではなく、音と聴き手の意識の微妙な隙間のようなところえ一撃を与えるような、を味わえる。それにも増して、直球で、考えすぎた装飾のようなものを剥いだ、むき出しの富樫の打楽器の激しくも美しさ。特にピーコックのベースを加えたトリオでの音の密度の激しさには、参ってしまった。A4での富樫・ピーコックのinterplayの激しさ、は凄かった。
当時はFree Jazzの範疇に「入っていたジャズ」だけど、今日的にみればECMでファイルされるcontemporaryなジャズそのものなのだ。Chick CoreaのA.R.C.と全く同時期にね。ECMフリークには聴いてもらいたいなあ、と思う。
-------------------------------------------------------------------
菊地雅章: Poesy (1971,Philips)
A1. The Milky Way
A2. Dreams
A3. The Trap
A4. Apple
B1. Get Magic Again
B2. Roaming Around Sound
B3. Aspiration
B4. End
菊地雅章: (p), 富樫雅彦(perc), Gary Peacock(b, on A4, B1, B3)