K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

田中康弘:山怪 山人が語る不思議な話(2015) 森への畏れ


 1週間ほど前、FBの広告欄に出てきてから気になっていた本。あまり怪談には興味が無い(子供の頃は怖かったが、どうも、そのようなものを感じる感性がない、と分かったので)のだけど、レビュー(だったかな)に「現代の遠野物語」とあったので、眼を引いていた。

 山の怪談話は昔の「山と渓谷」に小さく連載されていたが、山中の高揚した気分から一転、闇が迫る頃になると背中から忍び寄る「恐れ」のようなものを強調したような感じで、異常事態では決してなく、さもありなん、と思わせるものがある。また木々が生きているという実感、ことにブナの森の中での「賑やかさ」を体験すると、ある種の「交感」が成立している感覚がある。それが、古来から動物としての人間が持っている、感情の古層に潜む本能に近いものだ、と思っている。いわいる霊感、のようなものとは違う、と思うのだけど。

 つい先日、monaka氏のブログでアップされた記事をみて、ますます読まなきゃと思っていた。昨日から仕事で札幌に来ていて、連休以来の過労(呑み疲れ!)で、夜は休憩。その慰め(!)で、amazonからDLしてKindleで読書。軽く読了。

 好著だと思う。1970年代以降、高度経済成長に加え、日本列島改造論による交通インフラの敷延で、日本から辺境は消えた。交通インフラから外れた場所は廃村となり消えた。そんななかで消え行く山の人が語る体験談が集められている。恐怖を煽るような過剰な筆致ではなく、まさに遠野物語が如く、淡々と山村のモノガタリになっている。とても魅力的だ。

 先日、ボクが幾つか書いた金沢での「道迷い」「何かに遊ばれた」の感覚と陸続きの、話であると思った。ボクのように、全く霊感のない人間であっても、土地に潜む「何か」を感じる瞬間があって、そうしたものとの交感によって何かが起こる。あるいはブナの森のような生きるモノが発する気配もある。そのような小さな感覚であっても、闇の中での、気の迷い、幻覚や妄想、酒による間違い、のようなものが重なり、大事になる。古くからの集落であれば、そのことに狐の悪戯のような解釈がつけられる。

 読んでいてそれが怖い、という感覚は全くなかった。そうでなくて、もう既にそれを感じていて、それを承知で山だとか谷に入っている、ということ。深い森の中や、深い渓谷の底での空気や出来事を思い起こすと、それが「闇の中」になったとき、どんなことがあってもおかしくない、という感覚。「闇」に底知れぬ怖ろしさを感じている。多くの山行や渓流釣りは単独なのだけど、常に日没までの時間を冷静に勘定して、余裕を持って森を抜けている。そのような森への畏れを常に持っているから、この本の内容をごく自然なものとして感じた。

 あと、伊藤正一さんの「黒部の山賊」に書かれていたような狸の擬音のような現象が云われていること、が面白かったなあ。