K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

田村隆一の本ほか

 先日、ジャズ記事がオモシロイ(と云うか、関心が随分と重なる)ブログを拝見していて、菊地雅章浅川マキのほか、田村隆一まで出てきてタマげた。

田村隆一『自伝からはじまる70章』に歌舞伎町ナルシスのことが書かれていた

 彼は、大船に住んでいた1980年代に鎌倉春秋社の本などで随分とエッセイを読んだように思う。酒呑みが齢を重ねると、こんな感じなのかな、と初心者のボクは思ったものだ。当時の彼は稲村ヶ崎のあたりに住んでいて、還暦くらい。気がつくと、ボクもそんなトシに近づいているが、洒脱に呑めている気がしない。田舎モノなのだ。21世紀になる前に、彼は鬼籍に。ボクも急ぎ足で追いかけている。

田村隆一:1999(1998、集英社)21世紀を見なかった彼からの、ボクへのオマージュ

金沢・竪町「オヨヨ書林」 田村隆一「半七捕物帖を歩く」の単行本を入手した

 そのナルシスに関する田村隆一記事を読んで、さらにタマげたのは、武林無想庵の娘イヴォンヌ(日本人だけど、この名前。森鴎外の子女名と同じノリだろうね)と辻まことのことが出ていたこと(山本夏彦の本を読むと、イヴォンヌへの思慕が哀しい)。田村隆一と交差したとは思わなかった。確かに、辻まこと田村隆一より10歳くらいしか違わない。戦中・戦後の酒場で会っていてもおかしくはない。辻はアナキストのグループだったが、田村は草野心平のバーで呑んでいたみたいだから。(田村の本で、辻まことの名前をみた記憶はない、無想庵の娘、という記述はあった。)

金沢・竪町「オヨヨ書林」で辻まこと「すぎゆくアダモ」をみつけた.そして辻まことのことも少し

瀬戸内寂聴:奇縁まんだら、石原慎太郎:わが人生の時の人々 、それに大杉魔子の話などつらつら

瀬戸内寂聴:美は乱調にあり(1965)金沢から広島への車中、悪酔いしそうな読書

 最近は眼の疲れ、もあって読書は減退気味なのだけど、田村隆一辻まことが読みたくなった。視点が変わった、だろうな。

 辻まことの本は(少ないし、みすずの全集は持っているので)揃っているのだけど、田村隆一の本は多い。前述の「自伝からはじまる70章」と「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」を入手。読み始めた。

と同時に、ねじめ正一の小説、北村太郎の、がネットで引っかかった。なんと詩人達の話がTVドラマだそうで、驚いた。それはともかく、それに関連し北村太郎の最後の日々を柔らかな文章でスケッチした本、と出会った。稲村ヶ崎あたりの田村隆一の旧宅が舞台のひとつであり、あのあたりの明るい光景と谷戸の湿った空気を思い出して、とても懐かしくなった。稲村ヶ崎谷戸の奥に住んでいた、仙人のような伊藤さん、タラバ書房の、をふっと思い出して懐かしくなった。

とりとめもないのだけど、本の頁をめくりながら、自分のなかで行き交う時間(自己の、そして他者の)を愉しんでいる。寝床に積んであるので、寝付きが良くなった。そして、見たこともない大きな淵に立って、イワナを釣り上げる夢を明け方にみたのは、辻まことの本を読んだからかな。