K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

小島 剛一 : トルコのもう一つの顔 (1991, 中公新書) 帝国の残滓、そして正義という思考の退行

 様々な意味で衝撃的な本。今まで読まなかった(知らなかった)のは、極めて残念。

 世界の様々な国を「親日国」と「反日国」に分け、勝手な期待や思い込みで他国を論じる風潮が、外交における中庸な思考、practicalな意思決定を妨げることを恐れる。中国に対する戦前の蔑視、戦後の親中感情、現在の嫌中感情、振幅が大きすぎる。先方は国力に応じた国益追求を行っているだけ、とも云えるので、それに対して現実的な処方を考えるだけだ、非戦・平和を訴求するという理念に従い。過度の期待や攻撃は不要であろう。ましてや「力の均衡」、「地政学」というGreat game時代の亡霊が、生霊となった時代のなかにあるのだから。集団安全保障も平和訴求の一手段だと思えるのだ。

 本書は「親日国トルコ」の暗部を率直に語るもの、である。先般のクーデターを含め、トルコを突き動かす内面(内なる民族のモザイク)が描かれている。

 著者がまさに「知的好奇心」と「トルコ人の心性」に惚れ込み、トルコの全土を歩き、その言語状況を体得した、その記録である。その体験を綴っているものなのだけど、そこから浮かびあがる問題は21世紀の我々が改めて突きつけられている問題、でもあるように思える。トルコ人とは何か、主言語話者じゃない民族は何者なのか、国家統合の原理は何か、この本の出版から20年以上過ぎているが、今こそ読まれるべき本のように思える。

 宗教的な緩い紐帯の帝国であったオスマン・トルコが第一次世界大戦で崩壊し、セーブル条約で解体される。トルコはアナトリア中央とイスタンブール周辺まで縮退する。それをケマル・パシャが救国戦争を行い列強を打ち破り、ローザンヌ条約を改めて結び、今のトルコ共和国の領域が確定。それが教科書的な知識。つまり、国土が分解した「トルコ人の国」をケマル・パシャが西欧諸国に対抗し、再統合する物語。

遠くて近い国トルコ (1968年) (中公新書)

遠くて近い国トルコ (1968年) (中公新書)

 

 この再統合されたエリアの西部にはギリシャ人が住み、北東部にはアルメニア人が住み、さらに南部にはクルド人が住んでいた。そして100万人単位のアルメニア人の虐殺、トルコ・ギリシャ間の住民交換などが行われた。さらに東部に居住するクルド人の問題があり、武力闘争や弾圧が繰り返されている。このあたりが予備知識であろう。

 著者が知り得たこと、そしてトルコ政府との間で生じたこと、はもっと複雑である。トルコ人と思われていたザサ人のこと、さらに官憲の厳しい弾圧から、暴力装置としての国家の存在に思考を巡らすきっかけになるもの。

 また弱者たる少数民族もまた一枚岩でもなく、標準的な言語を持たない、統合されない民であることも分かる。国家を持たない民族とは、そのようなものなのだ。

 この本から、トルコの「非人道的」、「非民主的」側面を難じるのは容易。オスマン帝国の残滓たるトルコ共和国であっても、内なる帝国の維持に苦しんでいる状況が伝わる。そのような「混沌」を解放した「アラブの春」がチュニジア以外では更なる混沌を生み、更なる殺戮を生んでいる。第三者は正義という思考の退行で論じてはならない領域、とも思えるのだ。

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

トルコのもう一つの顔 (中公新書)

 

 続編の「漂流するトルコ」を読み始めた。

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」

漂流するトルコ―続「トルコのもう一つの顔」