先日、何かの拍子に「ゲゲゲの鬼太郎」以前の鬼太郎の話になった。子供の頃の漫画本の鬼太郎は墓場鬼太郎であって、あまり正義の味方のような脱色したものでなく、シニカルな際どい存在。面白かった記憶がある。いつからか「ゲゲゲの鬼太郎」になって、まあ普通の漫画、「子供向け」になった違和感が強かった。30年近く前に、成人してから本屋で、墓場鬼太郎の前作となる「鬼太郎夜話」を見かけて入手したが、さらに暗い・屈折した感じが凄く、面白い。東京近郊の街の暗部を極端に誇張しているが、確かにそんな闇が、そこかしこにあった時代、なのである。恐ろしくも懐かしい。暗い時分に子供が歩くと、人さらいに連れて行かれる、ということが、リアリティを十分保持していた時代だ。
ウルトラQの次作がウルトラマンになったとき、やはり同じような違和感を感じたことも覚えている。可視化できないようなオソロシイものが消えたような。
そのようなvectorで邁進した日本、安全・安心な社会を極大化するために、失ったものって何だろう、ってふと思う。
煙草を吸う鬼太郎。勿論、少年的な風貌であるが、年齢などわからない。