K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

2016年という一年、いや九ヶ月を考える(ECMを後衛とした構図)

 ボクは時系列に興味を持ったものを飛び跳ねているだけなので、とても今年のベスト、を語ることができるような纏まった何か、はない。外の方々の「まとめ」を有り難く読み、漏れを拾っている。

  ただ4月に聴いたEvan Parkerの影響は甚大で、あのような「広範な意味での音響空間」を創る試み、に強く気持ちが惹かれた。つい、その数日前まで、30年以上前に購入したFree Jazz, Improvised musicのレコードを眺め(100枚くらいかなあ)、何故、こんなに惹かれたのか、ピンとこなかった、ことが遠い過去のように思える。

 さらに、大沢さん企画の北欧系音楽を、数多くもっきりやで聴いたことも大きい。特に、Nakamaが創る音響空間が、同時多発的にあちこちで生まれている音、への共感を強めたこと、が印象深い。 現代音楽とジャズの境界領域を、様々な「作曲行為」や「演奏行為」で融解させ、「何かに」昇華しつつあるように思える。

 そのような意識の中で、ニューヨークの若い奏者達の試み、を知ることもできた。Ruweh records, Peter Evansの個人レーベルなどが印象深い。

 さらにPi recordingsやIntakt recordsの新作をみると、旧世代の奏者と若い奏者の麗しいcirculationが記録されていて、確かに「ジャズの伝統」が決して様式ではなく、思想としての前衛性が保持されていることが分かり、心強く思う。  ある時期までの「マイルス史観」からは窺い知れぬ躍動する記録だと思う。潜在しているmovementを顕在化させる取り組み。

Artists | Pi Recordings

 そのような顕在化した取り組み、を吟味し、それを洗練あるいは無力化(もある)し、majorな場に晒す装置としてのECM、も興味深い。確かに、minorなレーベルを前衛とし、ECMを後衛とした構図なのだ。決して否定的に捉えていない。今年のECMのアルバムのなかで、ニューヨークのアヴァター・スタディオで録音されたものに、新たな躍動を感じさせるものが多い、のも、その証だと思う。そのような一連の流れ、RuwehやPiからECMへの階層の中で、今は亡きポール・モチアン菊地雅章の息吹を感じること、は本当に素晴らしいと感じている。

  そのようなものを聴いているなかで、亡きディレク・ベイリーに惹かれるのは必然なのであるが、さらに坂田明ジム・オルークに興味が広がった。大友良英ら、からノイズ系の音楽に興味が広がりそうで、広がらなかった、のだけど時間の問題か。現代音楽でもそうなのだけど、美しさの探究のなかで制約を外す行為は麗しく感じるのだけど、美しさ、すら解体する方向には馴染めない、ように感じた。高柳昌行阿部薫も随分聴いたが、音響的な美意識に惹かれた、ことを確信している。

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 またジャズには前衛性そのものではなく、アヴァンギャルドな空気、のようなもの、モンクやドルフィーに感じて、コルトレーンに感じないもの、に気持ちが強く持って行かれた。このような「奇妙な味」はシュリッペンバッハやベニンクなど数多の奏者(それもアヴァンギャルド系)に伝承され、若い世代に継承されていること、を心強く感じた。Classical musicのアンチ・テーゼとしてのジャズ、ではないのか。

 あとは相変わらず南米音楽にも興味は続き、Songxjazzのアルバムは常に気になる存在だった。

 最後にtwitterを中心にリアルタイムに様々な情報を得たことは有り難い。感謝します。