ボクは映画にのめり込んだ時期はない。ハタチの頃に、ツゴイネルワイゼンを観て、満足した部分があって、それで済ましている感覚がある。映画で観たいモノ、感じたいコトが無駄なく詰まっている。いや、全てが無駄、とも云える。他の映画は、ビミョーにバランスが崩れていて、無駄に見える。それは、原田芳雄の存在感そのものであって、松田優作でも宍戸錠でもない、何かなんだろうな、と思う。その辛さが、甘さを幾重にも造っている。
鈴木清順は昭和末期のその頃(50年代)であっても、既に枯れていて、お爺さんのようだった、いや、半分以上あの世の人。だから、存命なのは知っていたが、既にあの世で生きているような人だったのだ、ボクにとっては。あの海辺の棺桶のような舟に誘うのは鈴木清順だった、のだ。