K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Andrew Hill: The solo (2004) ヒル晩年のソロ

今朝、夜明けよりも随分前に起きた。この1週間ほど、仕事の書き物をしていてずっとそうだ。そのときの音楽には少しだけ気を遣う.静謐であり響きが美しいほうがいいが、作為は嫌だ。エグ味が強くなるから。

アンドリュー・ヒルの晩年のソロはいい。そこには自己陶酔はなくて、淡々としたピアノとの会話,仄かな愛がある。枯れたという言葉は適切でない。タッチした先に広がる響きが美しいし、その美しさを仕舞うように不協和音を出すときの厳しい視線,そんなものが交叉する時間が過ぎていく。

 

[2017-05-13]

台北から帰ってきたらDVDが届いていた。早速、聴く。最晩年の演奏だけど、衰えはない。実に美しい音だ。実は、というか、やはり映像はなくてもいいなあ。CDで十分だと思う。


[2017-05-12記事] ヒルの映像

ザ・ソロ [DVD]

ザ・ソロ [DVD]

 

twitterよろすず氏の呟きに、ヒルが何回か出てきた。最近になって、ボクにも気になる奏者である。かのBlue Note時代だけでなく、その後の長いキャリアを含め、全貌をゆっくり聴こうかな、と思う。あまりRVG刻印なんてコダワリを持たなければ、Blue Noteの数あるアルバムの入手も容易だから。

で、ヒルの魅力はなんだろうか。立ち位置的には、アイラーやコルトレーンに対するドルフィーのような印象。伝統的なスキームのなかにあるような見せかけ、のなかで、音そのものが表す場が、ときとしてアヴァンギャルドな美しさを孕む、そこに魅了される。

モンク系とか云われるが、随分違う。似ているのは打鍵の強さ、と、音の数くらいじゃないかな。しかし、その魅力の在りようは、ドルフィー、モンク、ヒル、あるいは菊地雅章は共通しているように思えるがどうだろうか。

 そんなヒルのDVDがあることを知った。その音源はapple musicで聴くことができて、これが実にいい。一体、いつ頃の演奏だろうか。晩年には違いないだろうか。ピアノという楽器を慈しみ、鳴らしきるように打鍵する。間に染み渡る残響。

勿論、DVDを注文。中古で半額以下だったからね。

(ネットで調べると2004年の演奏)