K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Derek Bailey: Aida (1980) 聴きながら近藤等則のこと徒然、そしてベイリーの音

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Derek Bailey: Aida (1980, Incus)
A. Paris 19:00
recorded at 'Dunois' Paris on 4 July 1980
recorded by Jean-Marc Foussat
B1. Niigata Snow 6:00
B2. An Echo In Another's Mind 14:00
recorded at the ICA London on 3 August 1980
recorded by Adam Skeaping
Derek Bailey(g)
Dedicated to the memory of Aida Akira 1946-1978
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いつだったか、近藤等則がディレク・ベイリーのソロトラックの上で、電気トランペットを吹く、そんなイベントのヴィデオを見た。youtubeだったか。物理的な媒体を介して出た音に過ぎないベイリー、触発されない、が、近藤を触発している様子が何とも可笑しく、また哀しい印象を持った。そして突然、近藤も物理的媒体のなか、の人になってしまった。

近藤とベイリーの共演、というとメタランゲージの2枚が思い出され、そのうちの1枚は聴いたが、集団即興であまり面白くなかった印象がある。2人の対峙は記録されているのだろうか。と書いて、ベイリー来日時のアルバムがあったな、と思い出した。聴いてみよう。齢を重ねると、記憶も錆び付いて、こんな情けない思い出し方なのだ。

昨日のtwitterで本田珠也が、近藤等則からレコード5万円分を購入したと呟いていた。IMAへの加入権付き。そして、入手した1枚がこのAIDAで、ベイリーから近藤への献辞が書いてあったと。確かに家宝。

昨年、近藤等則はレコードを随分オークションに放出していて、それで未入手だったアルバム、1970年代のチャドバーンらとの共演や1990年代のもの、を入手した。先を見通した片付けだったのだろうか。アムステルダムからの帰還の後の急激な風貌の変化とともに気になることではある。今年逝去した、川崎燎もそうだったが、欧州での生活は加齢を加速する何か、があるのだろうか。

このAIDAでベイリーの音は美しい。新しいイコライザ・アンプで聴くと、実に気持ちが良い。弦のハーモニクスが音の不思議を語りかけるようだ。即興だかなんだか、そんなことは聴く上では関係ない。メシアンの鳥のカタログを聴くように、ただ不思議な音が織りなす意表を突く美しさ、にただ痺れていれば良いのだ。

 

[2019-10-11]

去年、マンハッタンへ行ったとき、古レコード屋で買った盤。当時、Incusのdead stockが流通したようで、そのときの1枚。disk unionは見逃し、Barber Fujiは迷っているうちに売り切れ。がっかりしてたら、マンハッタンで出会った、という一枚。

タイトルの通り、間章へ捧げる一枚。ボクはあの文章がとても苦手なのだけど。

この数日、出張していて、全く音を聴いていなかった。いや、その前も仕事で疲れていて、浸みるような感じで音が聴けていなかった、ような感覚があった。流してはいたけど。

今日、疲れて帰った訳だけど、何故かベイリーを聴いてみる。ギターの音が恐ろしく浸み渡る。旋律や韻律として結像しない、美くしい音の断片にクラっときてしまった。実に久しぶりの感覚。音の速さや周波数が無秩序に離散化していくような作業、それでいて統一的な美意識のようなものに支配されているような不思議。

何だろうか、なんて考えているうちに観客の拍手、に驚く。そして、そんな場で午睡のなかにあったような、そんな時間を過ごすのだ。

追記:

ここ暫く(どれくらいだろうか)、音を音として愉しめない苛立ち、のようなものがあったが、今宵は音を虚心に音として聴き愉しむ感覚。実に嬉しい。 


Derek Bailey - Aida (1980) [full]