K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

過剰な70年代(三上寛)

ボクたちの世代(間もなく還暦)が社会に出るとき、新人類なんて言われ方をした。上の世代からしたら、物足りないのだろう。団塊の世代や、その上の世代からすると、我々は如何にも軽かった、ようだ。

だけどそれは相対的なもので、団塊の世代や、その上の世代が過剰で、うざったい面々が多かったように思う。同調圧は強烈だし(コトバが臣民から仲間になっただけだ)、私的な部分への干渉も強かった。

あさま山荘事件以降、若い世代の政治の季節が終わり、その熱さが暑さに代わり、仕事の世界に持ち込まれたのだろう。それは仕事だけでなく、万博や1970年の「ゲバゲバ90分」あたりから、濃厚な大衆文化として表出したように思い出す。1960年代の「シャボン玉ホリデー」の優雅さ、はない。

寺山修司の実験映画や三上寛の音には、それをさらに引っくり返したような過剰さ、を感じた(あるいは思い込んだ)ところがあって、ちょっと手が出ていなかった。ボクのなかでは、浅川マキや阿部薫も同じ構図に嵌め込んでいたのだけど、聴いてみると、全くそうではなくて、「(自称を含む)関係者の情念」が過剰にそんな空気を作っていた、と理解したのだけど。

さて、山下洋輔の1970年代の録音を聴こうと考えると、三上寛は避けて通れないだろう。筒井康隆モノは買う気がしないので、手を出していないが。そんなことで、まずBangのレコードを入手。もうジャケットから過剰感満点なんだけど(苦笑)。

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 あとは、吉沢・灰野盤。つべこべ云わないで、まずは聴いてみます。はい。

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