昨夜、NYTよりキース・ジャレットの近況、についての報道があった。2017年のカーネギー・ホールでのコンサートの後、2回の脳卒中でリハビリテーションのなかにある、ということ。左半身が不自由で、杖を使って歩くところまでは恢復したが、ピアニストとしては.......ということらしい。
哀しい知らせではあるが、長く生きていると出会いに満ちた時期から、出会いと別れが均衡し、別れに満ちた時期に遷移していくことに気が付く。その一場面、なのだ。
ジャズを聴きはじめて、程なくエヴァンスやモンクの死を知り、数年でパストリアスの死を知った。しかし大半が音盤の上の世界。彼らはこの世を去ってもなおボクを惹きつけて止まない。今年も随分多くの奏者が去った。それでも彼らは生きている。
キース・ジャレットの音楽的な終止符を意味する記事ではあるが、彼の「ピアノのない未来」が多幸でありますように。そして音盤を通じ、変わらず彼の音楽に魅了され続けることができることに感謝。
そんな朝、何を聴こうかと思案したらこのアルバム。今になって、この音の滋味が美味しい。実はケルン・コンサートの音響、過剰な残響、を辛く感じるようになった、のだ。その後のキースの音がコンパクトに詰め込まれたFacing youと改めて相対し、今まで聴いた数多のアルバムを思い出している。ジャズ奏者として1970年代から1980年代に印象深いアルバムを多く出したように思うが、その後は素晴らしい・愛すべきアルバムは多くあるが、過去の到達点からの怖ろしく長い残響のように感じてならない。ECMそのものを体現している、と云えなくもない。