K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

吉田裕:兵士たちの戦後史(2011)戦後という時代はなかった

最近、読んだ本で面白かった本は吉田裕の諸作。兵士たちの戦後史、はそのタイトルから想起されるような、元兵士の類型とそれに対応する記録、の体裁では全く無い。様々な記録から戦後の時期時期での第二次世界大戦の体験に対する思潮の変化、を捉えたものである。遺族会関連の記事、戦友会の会報などを丹念に調べ、マクロな「元兵士」の戦後を捉えている。

私自身感じていたことだが、半世紀以上前の戦争報道は被害者意識を中心としたものであった。つまり銃後の酷さ(空襲、物資不足)あるいは従軍した下級兵士の実感として、であった。終戦後20年から30年、招集された兵士が40歳から50歳くらいの時代だ。特にアジアに対する加害の話が報道レベルで現れたのは、その10年くらい後ではなかろうか。

この本を読むとその背景が納得できる。上級将校だった年長者が力を持っていた時代から、最後の生き残りである下級兵士の時代へとゆっくりと変わっていった、ということ。それを実証的に明らかにしている。

我々は忘れ勝ちであるが、戦争を遂行した人間・体制の過半が戦後に残り、「民主日本」を動かしていたのだ。昭和天皇は免責され、開戦時の閣僚が首相にまで上り詰めた時代。野口悠紀雄が主張する、総力戦体制が継続した戦後、そのものであった。そのような戦後からスタートし、下級兵士すらこの世を去った今を迎えた。そのあらゆる階層での戦争体験者の存在が、戦争主体者としての加害事象の発露を抑えていた、ということだ。

一方で、戦争体験者は夢想的な戦争感の抑止でもあった訳で、ネトウヨ的な視点もまた抑えられていた、ともいえるのだが。南京事件にしても、瀬島龍三存命の頃に偕行社がまとめた戦史においても、否定し得ないが結論。

 

直に「昭和100年」を迎え、戦後を明確に終えられないまま、今の時代を迎えてしまった。人的には戦後という時代はなかった、ということだ。