先週のNHK-FMジャズ・トゥナイト(大友良英)の特集は「 篠田昌已を知っていますか?」。生誕日、命日が近い、ということだろう。
「 篠田昌已を知っていますか?」には、「知っている」となるのだけど、それは「知っていること」なのだどうか。間違いなく、本当のところは「知らない」のだ。
篠田昌已は同世代(少し年長)で、熱心に「ジャズ周縁」を聴いていた頃は「じゃがたら」に居たのではないか。じゃがたらを聴いて、ファンク時代のマイルスを転化したような異様なエネルギーのホーン・セクションに驚いたが、個人名までは認識していなかった。
数年前に、その存在が気になって一通りCDを集めたが、すっと受容できない感覚があって、聴き込んではいない。
他の人の話を「補助線」として音を聴くということ、が「ある種のcontext」を頭の中に作り(先入観ともいう)、音を受容するステップとなる、ということもある。確かにジャズは油井正一の「アスペクト・イン・ジャズ」がそのような役割だったし、クラシックはMちゃんの教導。もっともフリージャズは山下洋輔3の「インタープレイはち」でのライヴで受容し、エヴァン・パーカーのライヴで再受容したが。
だからラジオ番組で「篠田昌已を聴く」契機になるのも「アリ」だな、と思った。
さて番組では以下の曲がかかった:
「同志はたおれぬ」篠田昌已(3分48秒)<puff up PUF-1>
「耕す者への祈り」篠田昌已(4分52秒)<puff up PUF-1>
「くつやのマルチン」Compostela(4分09秒)<puff up PUF-4>
「箱の中の風景」Compostela(2分13秒)<puff up PUF-4>
「竹に雀~千鳥」篠田昌已(3分37秒)<puff up PUF-7>
「HA!」パンゴ(4分27秒)<OFF NOTE CUT OUT ONCO-001>
「Klezmorim」ピヂンコンボ(3分59秒)<F.M.N.Sound factory FMC-018>
「いばらのサギ師 i」飯島晃(2分24秒)<puff up PUF-2>
「くさび」Compostela(6分24秒)<OFF NOTE ON-4>
「S-1」篠田昌已(4分07秒)<puff up PUF-1>
「プリパ」篠田昌已(3分32秒)<puff up PUF-1>
飯島晃のアルバムはいいよね。
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