K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

(ECM1035-37) Keith Jarrett: Solo Concerts Bremen / Lausanne (1973) 1973年のキース

Concerts Bremen/Lausanne

[ECM 1035-37] Keith Jarrett: Solo Concerts Bremen / Lausanne (1973)
A. Bremen, July 12, 1973 Part I (18:05)
B. Bremen, July 12, 1973 Part IIa (19:40)
C. Bremen, July 12, 1973 Part IIb (26:15)
D. Lausanne, March 20, 1973 Part Ia (22:50)
E1. Lausanne, March 20, 1973 Part Ib (7:20)
E2. Lausanne, March 20, 1973 Part IIa (12:34)
F. Lausanne, March 20, 1973 Part IIb (22:35)
Keith Jarrett (p)
Design [Cover Design], Layout: B & B Wojirsch
Engineer [Remix] ? Kurt Rapp, Martin Wieland
Photograph: A. Raggenbass*, Jochen Monch, Roberto Masotti
Producer: Keith Jarrett, Manfred Eicher
Recorded at Lausanne, March 20, 1973
Bremen, July 12, 1973

https://www.ecmrecords.com/catalogue/143038750642/concerts-bremen-lausanne-keith-jarrett
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[2015-06-28]1973年のキース

1971年から1972年にかけてのECMでのチック・コリアのアルバムは、彼の代表作といってもよい、素晴らしい吹き込みをしている。(ボクにとっては)それらがチックの辿り着いた高み、だと思っている。その後は、ゆっくりと同じような世界を旋回しているように、見受けられる。

キースの場合、1973年から1974年に彼の主要な部分(piece)が揃っているように思える。前掲のクラシックへのアプローチ、solo improvisationの試み、ともにアイヒャーとキースの共同プロデュースでることに、その意気込みを感じる。あとガルバレクとの共同作業。ピーコック、デジョネットとのトリオはもっと先の話なのだけど。

このレコードはECMではじめてのボックス入り3枚組の大作。12ページに冊子入り。当時、このような「ジャンル分け」できないピアノ・ソロは衝撃であっただろう、ということは容易に想像できる。ジャズという強固なジャンル(今では考えられないぐらい明瞭であった、と思う)の境界が溶解する瞬間を捉えたドキュメンタリーであった、からだ。その音楽がジャズであっても何であってもいいけど、という聴き手の感覚とは別に、ジャズに入れるかどうか、という当時の書き手達の当惑が透けてみえる。後年、当時の詩誌カイエ「キースジャレット特集」での油井正一の寄稿がそれを物語る。執拗に「その場で考えた音なのか事前に考えたのか」、つまり旋律が天から降ってくる云々の真偽についてゴネている。ボクは譜面に書かれていても、そうでなくても、音になったものが良ければ良い、と思うのだけど、彼らにとって「真のimprovisation」か否か、それはジャズか否かの判定基準のようだ。勿論、ボクにとっても好きなジャズの要素としてのimprovisationは大いにあるし、聴き手としての拘りはある。しかし、キースのソロに関しては、ピアノの響き、それを包み込む適切な残響空間、美しくも懐かしい旋律、それらが関心。本質はimprovisationじゃないと思う。

さて、この3枚組なのだけど、あの人気盤「ケルン・コンサート」と比べると、生硬な感じ。ソロでの取り組みに対する彼の意気込み、のようなものを強く感じる。だから、音と音の流れがスムーズでなく、旋律の変化点が強くマーキングされているような印象がある。録音も特にブレーメンでは「力強さ」が強調され、適切な残響空間が付与されていない、と思う。勿論、後年の録音を聴いたうえでの印象なのではあるが。改めてケルンと聴き比べてそう思う。それにピアノを十分鳴らしている、ようにもきこえない。ただ、彼のソロの魅力は十分に入っていて、スタート地点としての十分な質は確保している、と思えるのだけど。

ブレーメンと比べるとローザンヌのほうが、後年につながるような美しさには勝っているように思えた。録音も残響感が増している。ここ数日、仕事場でも聴いていた。確かに、ここを起点にケルンへ向かっていくのだろう。

 

関連記事:

https://jazz.txt-nifty.com/kudojazz/2013/12/concertsbregenz.html

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3枚入りボックス

12ページのブックレット

なかのcredit

裏表紙をみると、初期プレスでないことが分かる。

でもLC番号は入っていない。