K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

添田知道「演歌師の生活」(1967、雄山閣)お盆に読んだ本

 お盆は読書三昧。とはいえ、すっかり遅読で沢山は読めない。これは読了した一冊。(本に集中するため、blog/SNSは控えてました)
 
 子供の頃、「明治100年」という行事があった。1868年の明治元年から数えて100年。戦後の復興期から高度経済成長に転じた昇り調子の頃。自分の祖父母を含め、50代後半以降は明治生まれ。明治がまだ身近な頃。それどころか、戊辰戦争西南戦争経験者が未だ存命していた。何か信じられないことだけど。

 今は明治が終焉してから101年。もはや明治は記録のなかにしか存在しない。

 この本は添田知道(1902-1980)の「演歌師」の記録。明治生まれの彼が「明治100年」となる前年に出版したもので、遠くなった明治への想いからはじまる。この本を手にとったのは、著者の父、やはり「演歌師」の添田唖蝉坊(1872-1944)への関心から。大正期のアナキスト辻潤(息子の辻まことの本が好きなのだけど)とか大杉栄辻まことの母:伊藤野枝の愛人、ともに憲兵大尉:甘粕正彦に惨殺)の話は奔放で、人間くさく面白い。そのなかに点景のように泳いでいるのは添田唖蝉坊。そのあたりの時代の空気が読めれば、と思って読んだわけ。

  残念ながら、表題どおり「演歌師の生活」の焦点をあてたもの。むしろ細民と呼ばれた最下層の庶民の娯楽としての「演歌」に眼を向けている。
・演歌の発祥は自由民権運動期。明治20年代の「壮士」が演説の代わりに歌を唄った、これが演歌。
・辻で演歌を歌い、ネタ本(タネが語源)を1銭で販売。これが運動資金。
大道芸人の側面から、救世軍テキヤさらには社会主義者に近い。多くの歌が発禁となっている。
・レコードという媒体の登場とともに、この本で扱うような大道芸としての「演歌」は終焉した。昭和初期。
・著者の添田知道は、この道に入る前に「売文社」(堺利彦が設立し、大杉栄荒畑寒村、山川均など所謂「主義者」が資金稼ぎのために設立した会社。代筆業)で下働き。彼らとの接点はコレ以外、述べられていない。
・とても面白かったのは、演歌師ではない「大空詩人」永井叔について頁を割いているいること。広島から連れ出した若い女長谷川泰子)を中原中也にとられたヒトで、マンドリンを抱いて乞食のように放浪して一生を過ごした。戦時下の写真をみても蓬髪で、1970年頃のヒッピーのような風体。

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 この本の入手は半年ほど前。オヨヨ書林で格安のものを見かけたので。暫し積み上げていたのだけど、前衛ジャズ奏者:土取利行が添田唖蝉坊・知道親子の「演歌」を収録していることを知り、驚いた。土取利行の夫人:故桃山晴衣添田知道から演歌の手ほどきを受けた縁らしい。その演奏が沢山youtubeにアップされているので、いくつか取り上げる。

添田知道の代表作「東京節」

添田唖蝉坊の代表作「ノンキ節」

添田唖蝉坊の「社会党ラッパ節」。明治三十年代末の堺利彦社会党の応援ソング。今の社民党の前身の社会党ではない。