K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Herbie Hancock and Fody Musa Suso: Village Life

Herbie Hancock & Fody Musa Suso: Village Life (1984,Columbia)
A1. Moon/Light,
A2.Ndan Ndan Nyaria,
A3.Early Warning
B. Kanatente
Herbie Hancock (key, drum machine), Fody Musa Suso (kora, talking drum)
produced by Herbie Hancock and Bill Laswell
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ボクが好きなHerbie Hancockの一枚.あまり一般的じゃないような気がするけど.Herbie Hancockの電子ピアノとFoday Musa Susoのコラ(アフリカの弦楽器)のデュオ.Susoの歌も入っている.Herbie Hancockの演奏は,普通テンションがそれなりに高い,あるいはアレンジされ尽くされている感がある.この一枚は珍しいのんびり・のびのびデュオ.Village Lifeのタイトル通り.電子ピアノとコラの相性も良くて,しっかり80年代の音になっている.そういえば,その頃,なぜかコラが静かなブームになっていて,世田谷の美術館にコラ弾きが来ていたのを聴きに行ったのを思い出した.随分と昔のことである.

先日,BartókとかKodaelyのように民族音楽研究を現代曲に昇華させたときに加わる力,生命力のような色艶について知人が語っていた.いつだったかボクも東京で開催された民族音楽に焦点をあてた「ラ・フォル・ジュルネ」でKodaelyのチェロ曲には魅了されたことを思いだした.Jazzにおいても,中南米を中心に,アフリカ,インドなどの民族音楽との接点から魅力的な音が生み出されている.このVillage Lifeにおいても,Fody Musa Susoが紡ぐ音の基調のうえにHerbie Hancockが浮遊するような形で,とても気持よくできている.そして四分の一世紀が過ぎた今も,まったく古びずに,ボクの気持ちを捉える.Herbie Hancockの一連のFunkモノがだんだんと懐メロに聴こえてくることと対照的に.

ジャンルにかかわらず音楽の進化や洗練の過程は,音楽が本来持っている力を摩耗させていく側面があるのではないだろうか.始原の音楽は精神の階段を一つ一つ降りていくための呪術的な力を帯びていたのだろう.そして,民族音楽のなかにはその残滓があり,摩耗とともに失われた音楽本来の力を取り戻すような要素があるのだろう.ブラジル土着の音に固執するHermeto Pascoalの音楽を聴いていても,そんな印象を受ける.

丁度1980年過ぎというと,ベーシストのBill Laswellがproducerとして仕掛けたいくつかのバンドやレーベルがあり,そのなか/周辺で民族音楽(Fody Musa Susoのコラ,アフリカ音楽全般,韓国の伽耶琴/カヤグムや農楽)に焦点をあてていた.それが70年代の変化に対する脅迫観念から隘路に入っていった音(ボクの場合,ジャズ系)に対して,新鮮な衝撃になっていたことを思い出した.Bill LaswellのMaterial,Herbie Hancockのsound system,近藤等則のKontonなどなど.

LP一枚をターンテーブルに載せている僅かな時間のあいだに,つらつらとそんな事を考えていた.