何度も起き、何度も寝て、遅い朝食に向かった。空調の効いた室内でなく、外で風に吹かれながら乾期の印度支那を楽しむ。コロニアル風の建物が多く、フランスのパラノイア的とも思えるこだわり、を感じた。
15歳の頃、GWの少し前に共産軍はサイゴンに突入。すでにグエン(阮)・バン・チューは弟のグエン・カオ・キとダナンから空路逃亡し、後任のズオン・バン・ミンが大統領府で共産軍を待った。そのような「サイゴン陥落の日」は物心ついてからの、異国での戦争を終えたモニュメントとして、長く記憶に残っている。
だからこそ、その後のヴェトナム難民の急増、中越戦争、カンボジア紛争など、新聞が語る民族解放や社会主義などの美名は、現実的・かつ冷徹な国際政治の前では「タテマエ以下のもの」に過ぎないことを覚えたように思う。ボク以上の世代は、捉え方こそそれぞれだろうけど、衝撃は大きいのではなかろうか。
もはや越南国の大半は戦後世代だそうで、確かに仕事で会う研究者も若い。ただ苦渋を深く刻んだ寡黙な老先生の威厳は、米国相手に戦い抜いた国そのものに思えるときもあった。
そんなことをぼんやり考えながら、勢いよく上昇する気温を感じながら、ゆっくり朝食。
今日は晩の歓迎会まで何もないので、ビールでも呑みながら休む予定。本を沢山読みたいね。