出版社の惹句は「死んでもいいから背中に刺青を入れてくれと懇願する若者、置いてけ堀の怪談――岡っ引き半七の友人、三浦老人が語る奇譚の数々」。
ボクは本を読んで惹き込まれるとき、それが懐古的な感情、ノスタルジアにより喚起されることが多いように思える。実生活においても、自分の前にあることよりも、後ろにあったこと、のほうが随分沢山ある年代になってきたし。どことなく、後ろ向きなことに惹かれるのだと思う。
そんな心地に飛び込んできた一冊が岡本綺堂の「読物」。半七捕物帳と同じく、幕末を生きた老人の話を明治末に聴き取り、それを大震災後の江戸の残り香も消えた昭和初期の東京で筆者が語るという体裁。時間の三重構造。それを平成に生きる昭和・戦後生まれのボクが読むのだから、細かな時間からの逸脱感が楽しい。それがあたかも、鮮やかな舞台設定のように効いていて、極彩色の現代からモノクロームの過去へ徐々に連れて行かれるような感じ。そして暗闇のなかに灯る行灯のような、儚げな話がとつとつと語られる。
読物の作り込みが丁寧。不条理な出来事に翻弄され流される人の姿や、そして消えゆく江戸という時代への哀惜に満ちた掌編集。バンコクへ飛び立つ前に見つけて、ぱらぱら読んでいたのだけど、南国でこんなに惹き付けられるとは思わなかった。十年くらい前に随分と半七捕物帳を読んだのだけど、また岡本綺堂を読みたくなった。
桐畑の太夫 :清元に入れ子んだ旗本
鎧櫃の血 :鎧櫃に醤油を入れて運ばせた御家人
人参 :不治の母の薬にと身を落とした姉、その姉が震災で落命した弟が恨んだ先は
置いてけ堀 :おいてきぼり、の語源。副業で釣りをする侍
落城の譜 :ホラ貝を吹く役目。禁断の落城の譜を吹いてしまった侍
権十郎の芝居 :芝居に入れあげる与力
春色梅ごよみ :旗本奥方が惹き込まれた草紙
旗本の師匠 :武道を教える旗本
刺青の話 :刺青を彫りたかった駕篭屋の跡取り
雷見舞 :吉原の大夫へ雷見舞へ遣わされた侍
下屋敷 :旗本の奥方と役者の密会
矢がすり :矢瑕がある矢立屋の女の秘密