K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

改めて金澤に住まう愉しみ、とりわけ春のこと


 子供の頃の数年、福井市内に住んでいた。あまあり記憶が確かではなくなっているのだけど、冬の晴れた朝に山並みの奥が白く輝いていたことを、はっきり覚えている。爾来、雪を頂いた峰をみると、そこはかとない憧れを抱く。だから就職で関西から関東に出たとき、喜んで冬の八ヶ岳周辺に随分出かけた。胸が高まり、そして帰途の愛惜の念。関東から、再び関西に戻ってからは仕事が忙しく、そんなことも忘れていた。

 忘れていたのだけど、仕事で4月の金澤に来たとき、犀川大橋から見える犀奥の白い峰、手前に広がる櫻。すっかり憧れてしまって、何年か後に幾つもの幸運な偶然が重なり、かの地に住むことになった。だから、この季節になると、そのことを繰り返し反芻する。

 この時期の愉しみは、気軽に医王山に出かけてスキーを漕ぐこと。無心に板を滑らせて高度を上げていくことが楽しい。

先日のお休みには見上峠から山に入って白兀首までスキー、その後はツボ足で白兀山頂まで。家から登山口まで15分。山頂までのんびり遊びながらの2時間。北アルプスの山嶺も輝き、久々に壮快な気分を味わった。

それから帰宅して12時。汗をかいた後のビールは美味いし、自宅から法島の櫻、そして背後には白山。

 そんな気分の良い休みを過ごしたのだけど、夕刻からなんか空気が澄み渡っていくような感覚が纏わりついた。ふらっと丘を降りて街中に出かけた。澄んだ夕暮れのなかで、花見客のはしゃいだ声が木霊のように響いている。指呼の距離、のはずなのだけど、ボクの手が届かない距離から響くような不思議な感覚。街中の音が残響を伴って、弾けてしまったような印象。酔っていたからかもしれない。それでも、はっとするほど透明だった美術館をみて貰えたら、少しは理解してもらえるんじゃないかな。

暫く見とれてしまった後は、柿木畠の蕎麦屋で呑んだ。すっかり暗くなってから街を再び歩くと、心地よい不確かな春の感覚をいつまでも味わうことができた。数km先の話し声が耳元で聴こえるような、不思議な日曜日。だから、やっぱり金澤はいいよなあ、と誰も聴いていないのに呟きながら帰った。

ただそれだけのこと。