K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

(ECM1266) Rainer Bruninghaus: Continuum (1983) 電子音の30年後そしてECMの魅力再考

 10月に入って、気分が出てきたので、レコード聴き再開。 気まぐれ、だねえ。朝から美味しい珈琲とパンを頂いて、野菜をたっぷり食べたらとても気分がいい。時間に追いかけられる感じ、から解放された。もう、追いかけれえている筈じゃないのだけど。

 相変わらずECMのレコードは追いかけている。1000番台は全部西独盤で揃って、あと気に入ったもののオリジナル盤入手(背文字のないやつ、とか、LC番号のないやつ)。1100番台は西独盤あと1枚(米盤1枚入れると全部)、1200番台はあと3枚(西独盤しか持っていない)、である。1300番台になるとまだ30枚以上残っているので、路遠し。まだまだ楽しめる。

  さて、このレコードは昨夜届いたもの。ハーシュで打たれたので、今朝、ハーシュのレビューのあと聴いている。

 A面、B面でいうとB面がいい。A面がシンセサイザによる電子音からはじまっているあたり、が何も違和感があったから。この時期のECMって、サーマンなんかもシンセサイザを多用していて、当時聴いたときにはそれなりに聴けたのだけど、今となっては少し苦しいように思える。弦の安易な代替、のように聞こえ、概して安っぽいのである。このアルバムもいいなあ、と思うとき、ん、って思うときが織りなすのだけど、シンセサイザの音の占有率、のようなものが高くなると、少し辛い。ボクはアコウスティック頑迷派でも何でもなくて、Fender Rhodesの音なんか大好物なのだけど、電気ピアノは物理的な共鳴を電気で処理していて、音の広がりや深み、人で御しきれない部分が魅力なのだと思うが、電子回路で波形合成するシンセサイザでは、人の手の関与が強すぎて、そして当時の技術の限界から決まるダイナミックレンジ(AD/DA変換のビット数は小さいのでは)も狭く、なんとなく時代の劣化にさらされている、ように思える。

 Rainer Brüninghausという鍵盤奏者が全て作曲した本作、その電子音のことを除くと、結構好みのアルバム。トランペット、ピアノ、ドラムという変則的な編成ながら、トランペットの伸びやかな、攻撃的一歩手前の音が蒼空に軌跡を描く飛行機雲のような感じで爽やか。光を感じさせる瞬間と翳りを感じさせる瞬間が交互に織りなす音の景色はまさにECMの音世界。とても良い、と思う。

 ただ奏者のピアニズムが少し控えめで、むしろシュトックハウゼンのトランペットに意識が行ってしまう、そんな感じなので、記憶に残るアルバムじゃないだろうなあ、と思う。

 改めて1980年代のこの音、とか似たような編成で三校に聴いてみた1970年代末のテイラーのAzymthとか、ECMの音って残響過多では決してない。音楽性そのもので、沈黙から沸き上がるような音の美しさ、だと思う。今のECMに感じる違和感って、そこんとこじゃないかなあ。 

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[ECM1266] Rainer Brüninghaus: Continuum (1983)
A1. Strahlenspur 4:50
A2. Stille 10:27
A3. Continuum 4:00
B1. Raga Rag 10:49
B2. Schattenfrei 5:15
B3. Innerfern 9:30
Rainer Brüninghaus(p,synth, composer), Markus Stockhausen(tp, flh), Fredy Studer(ds)
Cover: Dieter Rehm
Engineer: Jan Erik Kongshaug
Producer: Manfred Eicher
Recorded September 1983 at Talent Studio, Oslo.