ウクライナ危機の段階で購入した古書。ウクライナのネオナチ、なるものを調べようと思い購入。その後、読む前に開戦に至り、驚いた。
クリミア併合の後に緊急出版されたようだ。筆者によってはロシア寄りの微妙な表現が目につくが、驚かされるのは混沌としたウクライナ情勢。確かに当時のウクライナが国民国家として未成熟であり、思想、地域、母語、民族の違いが混沌さを生んでいる、そんな印象(斜め読み中だけど)。確かに、ロシアが介入する素地(あるいはロシアの介入を将来するような)がある、そんな印象を与える。無論、国際法の議論はすっ飛ばし、なのだけど。このあたりが、1930年代からの大日本帝国の対支政策との類似性(日本あるいはロシアからみたとき)を感じさせる。不謹慎だが、面白い。
だから8年後に同様の目論見でロシアが軍事侵攻し、所期の戦果を得られる、と判断したことも理解できるように思う(正しい、という意味ではない)。
しかし、8年後のウクライナは違った。19世紀的な国民国家としての成長が著しい、だからこその抗戦なのだろう。
まさに日中戦争を通じ、中華民国・中華人民共和国が19世紀的な国民国家を確立していったこと、と相似形。ウクライナ東部での8年の内戦が国民国家としてのウクライナを育てた、のである。
大日本帝国が毛沢東の中国共産党を逆説的に育てたように、プーチン・ロシアがウクライナを育てたのであろう。
さて読みながら思ったのは、ウクライナがそれなりに自立した地位を獲得できたとして、戦争を通じ確立されるであろう過剰な国民意識は何処に向かうのであろうか。余計なお世話かもしれないが。
さてウクライナのネオナチであるが、反ユダヤに関する極右勢力の動きが書いてあり、どの勢力も「誤解」を解くようイスラエル大使館詣でだったそうで(本書の時点)。ウクライナのユダヤ人も「ロシアの心配」は「余計な心配」だったようだ。
もう少し、ちゃんと読みたいと思わせる内容。