ジャズを聴くということは、あの世に消えていく奏者を送り続けること、のように思えることがある。聴き始めの1980年頃には1920年代に活躍した奏者が結構健在だったが、次々に鬼籍に入った。ライオネル・ハンプトン、ベニー・カーター、ベニー・グッドマン。それに混じって若かったビル・エヴァンス。
それから10年くらいのうちに、マイルス、ジャコなどなど。そんな記憶。生者と死者の境目が曖昧な感じで、音とつきあっているような気がする。
30年も経つと、この人もいつしか黄昏のなかにあるのだろうな、と思っていた。1980年代中盤のビル・ラズウェルと組んでいた頃から、ぐっとアルバムをあまり出さなくなって、今となっては、なかなか出てこない。次第に過去の人になっている。
そのハービーの自伝が出て、早速購入。
東南アジアをウロウロしながら、空き時間に読んでいる。とにかく面白い。もはや失なわれたmodern jazz ageと、音楽的にstream lessなcontemporary jazzの両方で頂点を極めた彼だからこそ、の内容。今気がついたのだけど、これは公民権運動の時代と、その後かもしれない。極めて現代的な視点で、その時代を振り返っている、その魅力。読者である我々との時間感覚を共有しながら、あの時代を振り返る面白さ。
まだ読みはじめ。ドナルド・バードの男気ある立ち回り、その恩寵に預かり、暖かく回顧するハービー。この暖かな空気はドルフィーとの記述も。楽しいなあ。
そんな訳で、久々に没頭できる内容。これからマイルスとの出会い。どきどきしている。