twitterやらネットでwatchして音を摘まんでいる。そうするとタマには日々のエリアを越えたものも飛び込んでくる。と云うか、ジャンルという言語化による哨戒範囲の限定、のようなことが融解している。
これも話題になっていたので聴いてみると、かなり良い。実は日本語の唄はコトバの力が強すぎてアマリ得意でないのだけど、これは音の力が強く(唄も音として入ってくる)大丈夫。キーボードやらバックの女性ヴォーカルが1980年頃のフュージョン(あるいはフュージョンを使ったポップスとか)をもっと洒脱にしたような感じで、気持ち良い。
ここ1週間の通勤のクルマのなかで低い音で鳴らすと、強いリズムが淡い感じで漂い、その上に声とかキーボードが流す色彩感がキレイだなあ、と思う。
確かに音をコンテクストで定義するような(典型的にはジャンル分け)、SWで云う外部仕様のような、が溶けていて、音は音でしか分からない、SWで云う内部仕様が剥き出しの時代にある。