これは先日、新宿で入手したアルバム。これでコロンビアのアルバム5枚は全て揃った。嬉しい。
当時のそのようなジャズ・サイトの一つに、ショウのディスコグラフィーのサイトがあった。ショウを「悲劇の奏者」と哀しみ、その偉大な業績を称える、といった感じだったと思う。何故、悲劇か。デクスター・ゴードンとの確執による家族離散、HIV感染、弱視による地下鉄での転落・腕切断。これだけでも十分悲劇である。あわせて、実力の過小評価、が念頭にあった、と思う。デビュー当初にドルフィーのアルバムに登場する腕がありながら、最初のリーダ作(あとで再発)が蔵入りだったり。
でも、そうだろうか。キャリアのピークである1980年頃にコロンビアと契約し、少なからぬアルバムを出していた、それでも十分ではなかろうか。コロンビアから外れた1980年代中盤以降のアルバムは、確かに「何か」が落ちた感じが否めない。
こんなことを書いたのは、この「豪華な」アルバムを聴いたから。曲によっては弦やヴォーカル、ブラスを加えた実に盛り沢山な内容。それを見事に纏めきっている。ヴォーカル曲はポップなグルーヴ加減とショウのジャズが見事に調和していて、ショウの次ステップを(本当は)示唆していたのではないか。当時のフュージョン全盛期のなかにあって、彼の答えのようにも感じた。
確かに近年の発掘盤や、コロンビアでのステッピング・ストーンズのような直球のショウは素晴らしいのだけど、このような企画モノでも、綺麗に昇華してして聴かせる、そんなショウも素晴らしいと思う。そんなショウのキャリアを思うと、楽歴が悲劇的とは思えない、部分もある。このアルバムを聴いて、そう思った。
ショウがゆっくりと存在感を消していく時期と、ウィントン・マルサリスの勃興期が重なる、のは彼らの在り方の違いもあって、何だか示唆的だなあ、と思うのである。そして、その頃、ボクはジャズへの熱中から冷めた、時期でもあるのだ。
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Woody Shaw: For Sure!(1980, Columbia)
A1. We'll Be Together Again (C.Fischer, F.Laine) 5:42
A2. Opec (Woody Shaw) 5:22
A3. Time Is Right (Judi Singh) 4:25
A4. Ginseng People (Woody Shaw) 5:25
B1. Why (Victor Lewis) 4:47
B2. oshua C. (Woody Shaw) 7:10
B3. Isabel The Liberator (Larry Willis) 8:28
Woody Shaw(tp), Curtis Fuller, Steve Turre(tb), Gary Bartz(as), Carter Jefferson(ts,ss), James Spaulding(fl), Larry Willis(p), Stafford James(b), Victor Lewis(ds), Nana Vasconcelos(perc), Judi Singh(vo), Strings
Recording: Don Puluse
Executive-Producer: Maxine Gregg
Producer: Michael Cuscuna