昨日(10/3)は、昨年、ECMからベースソロのアルバムを出したビョルン・マイヤーのライヴ。やはりベース・ソロ。ECMでぼベース・ソロというと、どちらかと云うとフリー系の奏者を想起するが、彼はニック・ベルチュのRoninのベーシスト。電気ベースでミニマルなファンクを刻んでいた人。
とても穏やかで笑みを絶やさないスェーデンの人。まずは簡単な語りからライヴをはじめた。最初のアルバムprovenanceはheritageのような意味で云々、愛用のベースは1995年から使っていて、のような。人
エフェクターを使ってループや残響を付加。ソロではあるが、electronicsの効果を含め、かなり重層的な音を紡ぎ出す。基本的にはミニマル的な曲調はニック・ベルチュのRoninと通底するが、ベースという楽器でより柔らかでwarmな音を作っていた。そして、それが全くアコウスティックな音の心象を造り出している。弦とフレットの接触音など、様々な音がレコードジャケットのような炭を流したような単色であり、そこから色彩のイメージが喚起されるような豊かさ。
何に驚いたかと云うと、もっきりやでECMからのデビューアルバムと完全に連続な音世界を楽しむことができたこと。
ECMはマンスフレッド・アイヒャーの音造りで、クラシックからジャズ、民族音楽まで包含する共通した音世界を影響している。それが特徴でもあり、また過剰な音の制御が、奏者本来の音から乖離させている部分がある。アイヒャーは隠れた奏者、でもある。だから、同じ奏者をECM外のレーベルで聴いたり、生で聴くと、ECMのアルバムとの差異が存外に大きいことに気がつくことがある。
しかしながら今回のライヴでは期待した「非ECM的な側面」は垣間見えず、彼の音自体がECMのイコライズのなかにあることが逆に面白かった。そこにアイヒャーの音造りが作用しているだけでなく、ECM的な音を指向する奏者の存在を知ったような気がする。JTNCシリーズの柳樂氏が行った福盛氏へのインタビューを思い出していた。ECMがアイヒャーの個人に止まらず、方法論となっている、あたりを。
ライヴ終了後に、レコードにサインしてもらった。最後まで穏やかな笑みを絶やさない人だった。
サインの様子(ボクではない)