Fred Hersch Plays Jobim (Sunny Side)
1. Por Toda Minha Vida
2. O Grande Amor
3. Luiza
4. Meditacao
5. Insensatez
6. Brigas Nunca Mais
7. Modinha/Olha Maria
8. Desafinado
9. Corcovado
6.を除きソロ
2009年
今朝は雨が窓を打ち付ける音で目覚めた。そのうちに打ち付ける音が高まり、いつしか霰に変わったことを教える。窓をあけると随分と大きな霰が飛び込んできた。文化の日を過ぎて僅か数日で、すっかり晩秋の気分となった。ボクはこんな季節が好きだ。高嶺から次第に里に降りてくる雪のことを思うと、とてもソワソワしてくる。今年は新しいスキー板が欲しいなあ。
最近、仕事場でクラシックを流すことが多いのだけど、案外聴き流せないので仕事に差し支えるような気がする。だから仕事場ではジャズに戻すようにしている。そのなかでも、最近はStefano BollaniとFred Herschは登板回数が多い。クラシックに耽溺したあとも安心して聴けるピアニストたち。
今朝の金澤は断続的な強風・雨・霰。仕事場の窓がガタガタ鳴っている。子供の頃に北陸に僅かな期間住んだことがあって、風で窓や戸口が鳴っていると冬の気持ちになってくる。なんとなく心地良い。夏の頃に手に入れたのだけど、ピンとこなくて放置してあったFred Hersch Plays Jobimを聴いてみた。とても冬を迎える気分にぴったり。
Jobim曲集ではあるのだけど、Herschの世界に仕立て直しされていて、体感温度が随分違う感じ。Jobimの曲は暖かみのある空気に包まれるような感じなのだけど、Herschの世界ではひんやりとした空気のなかで小さな炎に手をかざすような暖かみ。だから、9月頃には何かピンとこなかったのだけど、固体化した雨粒が天蓋から落ちた今朝,この暖かみをはっきりと感じた。心地良い。
これを書いている夜半前も雷鳴(この地では獅子起こしと云う)と一緒に聴いている。カラダが感じる物理的な温度以上に、これからの冬への変化、その微係数が気持ちを冷たくしているような気がする。だから、静謐な冷たな光彩を放っている曲でさえ仄かな暖かみを感じるのだろう。音数の少ない曲ですら、ピアノが綺麗に鳴っているので饒舌な印象があり、気持ちを放さない。奇数番,偶数番で曲調が別れていて(そのような冷静な観察をされる方は偉い!ボクはぼんやりでダメなのです)、奇数は陰翳寄り、偶数は光彩寄りかな? だけど陰翳に寄るからこそ光が眩しく感じるし、光彩のなかにあるから足元の暗がりが気になるような不思議な心象風景。
ここ三ヶ月あまりクラシック音楽,特にピアノを中心に聴いている。そのなかでピアノそのものの音の艶とか彩が気になるようになった。Stefano BollaniやFred Herschは、その感覚のなかで浮上してきているし、Richie Beirachも意識のなかで再浮上している(ELMとかEONはいいなあ)。Keith JarrettやBill Evansは若い頃の演奏よりは、加齢してからの演奏により強く惹かれるようになった。面白いことだ。だから音楽を聴くことは楽しい。ジャズの聴こえかたが変わってきて、新たに楽しむことができるのだから。夜半を過ぎて、こんな詰まらないことをタラタラ書きながら、まだまだオトを聴いていたいような気分になるから、嵐のような夜はいいなあ。とうとう呑みに出かけそびれてしまった。