K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

日々旅にして旅を栖とす(金澤から都内そして仙台)


金澤の空の下ではいつも旅の気分なのだけど。犀川大橋のうえで湿気を孕んだ冷たい風にあたっていると、なにか何か長く被っていた樹脂の殻のようなモノが破れていく感覚があった。
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月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思やまず、海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひてやゝ年も暮、春立てる霞の空に、白川の関越えんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて取る物手につかず、股引の破れをつづり笠の緒つけかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかゝりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、   
草の戸も住みかはる代ぞ雛の家
 表八句を庵の柱にかけおく。   奥の細道


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夕刻が迫る秋葉原


この数年、旅の途中で微かにも心が震えたり、何かが気持ちに入り込んだり、あるいは僅かでも気持ちよいものを感じたり、するような悦びや驚きが全くなくなった。とうとう擦れっ枯らしたのか、と半ば諦めていた。仕事で随分いろいろな街に行っているのだけど、それが苦痛に近いものになっていた。まあ、この十数年のパスポート2つは入出国のスタンプで真っ黒だしね。仕方がない。


都内近郊で夕刻を迎えた


旅情というものが、その地にあるもの、例えば街角の空気のようなものやその場所の人々との、触れ合いそうで触れ合わない絶妙の距離感から醸しだされるものならば、金澤でのこの1年の生活がまさにそのような距離感のなかにある。だから気持ちのなかでは、金澤では「日々旅にして旅をとす」だからね、と擦れっ枯らしたことへの居直りめいた事を思っていた。片雲は我の中にありて、我住まう処が旅也。金澤の日々が旅なのだからいいや、とね。


お茶の水の聖橋のうえから新宿方向


そんなことで旅に出る口実とも云えなくもない仕事の数々を引き受けることも随分と億劫になっていた。ボクは仕事の仲間、とりわけ所属組織外の仲間に恵まれていて、いろいろな機会を頂く。そのお陰でいろいろな処に行く機会が多い。それなのに楽しくないことがままある。申し訳ない思いをもっている。


神田明神,境内の大黒様


この11月はそのような機会が溢れていて、幾つか本当は楽しい筈の旅が待っている。だけど、そんなこともあって10月を終える頃には少しだけ憂鬱になっていた。


神田明神横の隘路の奥。坂のうえのホテル


この11月はじめの数日は仙台での集い。ボクは京都の学校のあとに、仙台の学校に行く機会があり、その恩師を慕う仲間で毎年集まる。昼間は仕事。夜は近くの温泉。だいたいは秋保温泉の佐勘か作並温泉の一の坊に泊まる。今年は一の坊。東京近郊での仕事を含め、3日間の静かな旅、と云えなくもない時間を過ごすことができた。


仙台の空は金澤よりも狭く、輪郭がはっきりしない感じ

 

この3日間、東京から仙台に至る独りの時間のなかで、とてもとても懐かしい旅の感覚が僅かではあるが蘇っていることには驚いた。あるいは少し新しい感覚かもしれない。そもそも出発のとき、金澤の朝がとても気持ちよかった。犀川大橋のうえで湿気を孕んだ冷たい風にあたっていると、なにか何か長く被っていた樹脂の殻のようなモノが破れていく感覚があって、良い時間を過ごせそうな予感に満ちてきた。旅の気分に満ちてくるのは3、4年振りじゃないかな。仙台での古くからの知己との邂逅がとても暖かく感じたり、すこし離れて独り過ごす時間が気持ち良い冷ややかさに包まれたり、気儘な楽しい時間を豊かに過ごせたように思う。

 

そんな訳で毎週のように、あちこちへと出かける日々が始まった11月。少し楽観的な気分で、今は南への遠出の準備に勤しんでいるのです。