K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

金澤:沸きあがる雲のもとで


人が少ない竪町の朝。直線で切り取られた額に収まったような空に雲が流れていた。

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 薄明の博多を後に、金澤に朝帰り。小松に降り立ったときから、大気の透明度や光の彩度が普段と違うことに気がついていた。だから金澤に向かう車窓から、白山のまわりの山のうえ、陰翳が強く、立体感に溢れる雲が千切れては飛んでいくのを眺めていた。

 はじめて金澤、いや日本海側に住んだ2年ほど前、この地の空の大きさや変化の早さに驚いた。雲がつぎつぎに沸き上がり、風に流され、光が溢れるかと思えば、横殴りの雨。だから360度の全方位角のなかで、晴天から雨天まで演じられるから、否応が無く空が広く、大きくなるのだ、だから、その頃の写真をみると、空と雲ばかり。一回として同じ空は現れない訳だから、飽きずに眺めていたものだ。

 小松からのバスが片町に着いた。金澤を楽しみたいときは、少しだけ遠回りになるのだけど、竪町、新竪町を通って、櫻橋犀川を渡り、櫻坂をあがって寺町台地にあがる。そして櫻木通りを伝って帰っていくのだ。犀川大橋から蛤坂を通るより、河岸段丘が大きく競り上がるから、歩いていると目の前に広がる景色が刻々と変わるから面白い。この秋一番の大きな空が見えそうな予感で、竪町に入っていった。

 竪町の商店街の朝、人通りは少ない。両側をビルに切り取られた空が少し遠くに見える。ビルとのコントラストでとても早く流れているように見える明るい雲。

北の方は明るい曇天。あまりに柔らかい光景に、こんな空だったら、迎えに来てもらってもいいなあ、ふっと思った。

竪町から新竪町にはいる時の感触が面白い。なぜか止まっていた時間がゆっくりと溶けるように動き出すのだ。そして絶対時刻が随分と昔に戻されたような街並み。矢張り、雲は忙しく流れていた。

そしてエディソン電灯会社の流れを汲んだ、法則性の乏しいワイヤの包絡線が空に網のようなモノを張っていた。

新竪町を抜けると櫻橋。見上げると寺町台地のコンクリートの住戸が影絵のようなコントラストを与えていて楽しい。

見上げていた河岸段丘のうえには櫻坂をゆっくりと伝って上がっていく。みるみる犀川から離れていって、箱庭のように小さな金澤の街が掌のなかに収まりそうになる。それにしても空は過剰な立体感で溢れている。

いつも思うことなのだけど、櫻坂を上がって犀川に背を向けると瀬の音がすっと消え、なんか結界の見えない網を破ったような不思議な感じがすること。そして光や風や音が変わったような気がすること。この時も同じような感覚があって、眩しさに眼を覆ってしまった。

それにしても随分長い間、空とか雲とか月とか星が気にならなかったように思う。最近はそんなものが気になって仕方がない。どうしたのだろうか。