K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

気持ち良い二月の夕暮れにオヨヨ書林で手にした本


随分沢山の本が流し目を送ってくるような書架。歩くとコツコツと木の床板が響く。心地良い。そんな気持ち良い夕暮れにオヨヨ書林で手にした本:

1.田中優子:近世アジア漂流(1990,朝日新聞社

表紙に惹かれた。鎖国日本の定説,というのもいかがわしいのであるが、アジアの中の江戸、という視点の本。シャム,ヴェトナム,朝鮮との庶民レベル の交差・エキゾティシズムを書いている。「あとがき」がいい。タイトルは、世界はエキゾティックにエロティックに連鎖する、と。そして、絵画の中でも下着に注目すれば、そこには下着をあえて風になびかせながら、身体を見せて存在を表現する江戸時代の女たちが見えてくる、と。

確か20年か30年くらい昔に「江戸ブーム」のようなものがあって、亡き杉浦日向子さんとか田中優子さんって露出度が高かった記憶がある。その頃には本を手にしなかったのだけど。ボク個人にとっては、意識の下に澁澤龍彦の「高丘親王航海記」ですっかり活化されたエキゾティシズムのタネがあって、江戸というよりシャムとかヴェトナムというコトバに惹かれて連れ帰った本。

2.宮内勝典:この惑星こそが楽園なのだ(1991,講談社

日本を離れてニューヨークで書かれたエッセイ集。このヒトの小説、グリニッジの光を離れて、や、ぼくは始祖鳥になりたい、はイイ小説。理由は分からないけど、とても肌に合う。抑制的な色彩感、モノトーンに近い文章なのだけど、そこから喚起されるイメエジがとても豊かでスケールが時として大きい。

このヒトのエッセイは「朝日文化人」的な臭いがあって、あまり好きでない。きれいごとに過ぎる。そんなに森羅万象キレイなものじゃないのだけど、と思ってしまう。だけどニューヨーク話は概して等身大(だった記憶が)なので手にした。それにしても、このヒトは喰えているのかなあ、といつも心配しているのだけど。本屋さんで、あまり見かけないしね。グリニッジの光を離れて、も図書館でしか見たことがないし。

3.藤森栄一:かもしかみち(1995、学生社)

藤森栄一、という名前はどれだけの人が覚えているだろうか。子供の頃に読んだ考古学の本。古代遺跡の話をドキドキして読んだ。尖石遺跡という縄文時代の遺跡がある。茅野の高台のうえ。尖石とは、文字通りの尖った大きな石。三角錐、のような。その昔に縄文人が矢尻を磨くのに使った石、と云われる。その遺跡を発掘した考古学者。子供の頃、そんな仕事をしたいなあ、と思ったことを思い出した。鎌倉に住んでいた20代はじめ、単車を買って真っ先に行ったのが 尖石遺跡。その石のおもてを触りながら、5000年の時間を想い、不思議な気持ちに浸った。

この頃の考古学者の文は概して味わい深い。直良信夫(所謂「明石原人」の発見者)の文章も雑誌「アルプ」でみかけるが、縄文人が辿ったような峠道を 越えるときに地名や地形から古のヒトとなってイメエジを膨らませていく。藤森栄一もそう。そんな過ぎた時代の甘い味がこぼれてくるような滋味深い文に浸りたくなったのだ。

4.マルグリッド・デュラス:ラマン”愛人”(河出文庫

随分前に映画評をみてから(映画はみていない)、気になっていた小説。仏領越南で貧しいフランス人少女が富裕な中国人青年の愛人になる話(としか知らない)。熱帯にあった古のコロニイを舞台とした話になんとなく嗅覚が向いたということ。読んでみなくちゃ分からないけど、うまい具合に甘いような気がするのだけど、どうだろうか。これもエキゾティックで、エロティックなこと期待読書かなあ、澁澤龍彦はじまりの。

 

そんな訳で、毒をもって毒を制す、過度の音生活を活字生活で調子を戻さなきゃ、と思っているのだけどなあ。