K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Robert Aitken:武満徹/そして、それが風であることを知った 他 (2001)  まだ見ぬ夢の残滓

 明け方に浅い夢をみた。

 京都の北の方には未だ見たことのない美しい場所があるという。小さな古い集落で、春には路端に桃や梅がほころび、さらに北のほうには若狭に連なる嶺が白く光る。人の姿がみえず、ただ鳥が鳴くだけ。柔らかな大気なのだけど、なにかしら冷たさがあり、隔絶した場所であることを、殊更に言い立てるような。そんな場所があるという。

 今日こそ、その場所に行こうと思った。友人達と北に向かうバス亭に立っていた。コマ落としのように時間が経っていくのが知覚できる。いつしか黄昏ていた。指先も見えなくなっていた。諦めたように、あらぬ方角を見て溜息をついていた。いよいよ暗くなってきた。はっとして、振り返るとライトを点けたバスが来たので、あわてて乗り込んだ。もう友人達の姿がみえなかった。暗闇の大路を進むのだけど、どこかで大きくUターンしたように思った。

 終点で下ろされたのだけど、街の中。目の前に私鉄の四条駅の看板が見えた。ああ今日も行くことができなかった、と思った。

 ただそれだけの淡い夢だった。

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 最近は武満徹の曲が気になっていて、NAXOSのネットサーヴィス(NML)を利用して、昼間の仕事場なんかでもぼんやり聴いていることが多い。最初の入口はピアノ曲。過剰ではない音、むしろ音と音の間の静寂を聴かせるような感じが好ましい。アイヒャーのECM世界に通じるものがある。

 先日、NMLでふと聴いて気に入ったアルバムが、この室内楽集。フルートや打楽器やハープ。編成を斜め読みすると、ちょっと面倒な感じで手にしないのだけど、ネットのうえだから気軽に聴いてみる。むしろ器楽曲に近い、やはり静寂を音にしたような世界に魅了された。で、CDを入手してしまった。なんのための有料ネットサービスやら。

 何と云おうか、このような曲を聴いていると、体半分くらい「あの世」に届けられたような感じ。三島由紀夫豊饒の海(一巻)の高校生である主人公が思い浮かべる雪の中の墓標、日露戦役の記憶がモノクロームに投影される。その甘いノスタルジイ。あるいは黒澤明の夢のなかの意味のない、幻灯機の記憶のような焦点が緩いような映像の記憶。ともに作者晩年の死を見据えた作品なのだろうけど、そのような「ボクのなかの記憶」の一つに、このオトも加わった。まだ見ぬ夢の残滓、のような。死の影とは、そのようなものなのだろうか。

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Robert Aitken: 武満徹/そして、それが風であることを知った/雨の樹/海へ 他(2001,Naxos)

   1. そして、それが風であることを知った(フルート、ヴィオラとハープのための)
   2. 雨の樹(3人の打楽器奏者のための)
   3. 海へ I. 夜(アルト・フルートとギターのための)
   4. 海へ II. 白鯨(アルト・フルートとギターのための)
   5. 海へ III. 鱈岬(アルト・フルートとギターのための)
   6. ブライス(フルート、2台のハープ、マリンバと打楽器のための)
   7. 巡り - イサム・ノグチの追憶に(フルート独奏のための)
   8. ヴォイス(声)(フルート独奏のための)
   9. エア(フルート独奏のための)
  10. 雨の呪文(フルート、クラリネット、ハープ、ピアノとヴァイブラフォンのための)
ロバート・エイトケン(fl)
ニュー・ミュージック・コンサーツ・アンサンブル
[ノーバート・クラフト(g)/エリカ・グッドマン(hp)/サンヤ・エン(hp)/ロビン・エンゲルマン(perc)/ジョン・ワイヤー(perc) /ボブ・ベッカー(perc)/ラッセル・ハーテンバーガー(perc)/ライアン・スコット(perc)/デーヴィッド・スワン(p)/ホアキン・バルデペニャス(cl)/スティーヴン・ダン(va)]