K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

渓流にも蜻蛉が飛び交う時候に

 渓流にも蜻蛉が飛び交う時候になってきた。まだまだ暑いが、夏はお仕舞いのようだ。体感される大気の温度と、季節感にはいつも齟齬がある。光や空から感じる季節感から、半月から一月ほど遅れて大気の温度が季節に合わせてくる感覚がある。だから2月も中旬を過ぎると春を感じることが多く、5月中旬には夏、8月中旬には秋を感じる。だからきっと11月中旬には冬を感じる。

 これは多分に日照時間と関係していて、至点・分点(3、6,9、12月)の一月くらい前に日照時間変化の極値のようなものがあって、その光そのもの変化が与える印象じゃないかと思う。大地が暖まり、冷えるための熱抵抗は大きく、それが視覚・感性の季節と、大気の温度の齟齬を招いているのだと思う。

 実は金沢に来るまで、左様な感覚は全くなかったので、このような感覚が他の土地で共有できるとは思えない。大気の温度よりも、光の移ろいのなかに季節を感じることができる、清澄な大気のなかでの生活でしか感じることができない、ように思えるからだ。面白いことだ。

 雨の朝、自室から南の方角を臨みながら、秋の光、のようなものを存分に愉しんだ。南の方角には大好きな犀奥がある。そして、その犀奥で木々の間から差し込む強い光、水面の鋭い散乱光、夏を存分に感じることができたこと、をゆっくりと反芻していた。そんな今年の夏はお仕舞い。

渓流に入っていると楽しくも寂しい、高圧鉄塔をみかけると、ほっとすることがある。

犀奥の山々は雲の下

寺町台地の上には、夏の光りが少しだけ残っていた